4月のネタ帳から

※怖いんですわ。いろいろと。
■配置演出法
2Dと3Dとでは随分と違うなぁ。。。と。
レイアウトとコンポジションは違う意味で
レイアウトが構成で、コンポジションは配置を考えるという意味合いらしい。
つまり、レイアウトはコンポジションの上位概念なわけである。
因みにデザインは構成という意味ではありません。
■余白による印象度の違い
えー、簡単に言うと、枠に対して
大きいとインパクトや温度が高い
小さいとインパクトや温度が低い
という結果。
あとは余白のとり方で安定したり不安定になったり動きがでたりする。
■作品ではなく商品を作る(デザインする)
グルーヴィジョンズの伊藤さんの言葉。
この考え方は好きだし、できることならば実践したい。
■優しくしないで
某友人を苛めてたら発した言葉。
M宣言。
■無限ループの試み
アナログな装置で実装したいなぁという考え。
例えば合わせ鏡とか。
写真を撮って現像して、それをまた持って写真を撮って。
それを繰り返せば手作りループ。
■アナロジーなモノの伝え方
例えば電波とかはノイズが乗ると波形が変わってくる。
そんな感じで情報にバグが乗る様子がよさげ。
絵とかジェスチャーの伝言ゲームとか
アナロジーなモノの伝え方だと思われ。
■魔方陣の法則
証明しようとしたら帰納的方法になった。
もっと明快な解法がありそう。
■プロットがループするストーリー
簡単に言えば

エピソード1で主人公Aと登場人物Bが出てくる。
エピソード1のラストでAとBの登場するプロットがあり
そのプロットがエピソード2のプロローグになる。
エピソード2では主人公はBになり
エピソード2のラストでまたAとBの登場するプロットがあり
それがエピソード1のプロローグになる。

だから何?って感じ。
■行列の様子
「HPに行列ができてる様子があったら面白いようね」という不意な発言から
待ち行列の変遷の様子とかが気になった。
つまりそれはマルコフ過程に行き着くわけで。
最近知ったけどオートマトンってマルコフ過程と同じような考え方だったのね。
知らなかった。

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3月のネタ帳から

もう桜が散りはじめてます。
ネタも少なめ。
■退化したデザイン
デザインって必ず意味や役割があるもの。見た目だけでなくて機能的に必要だからデザインされたものが前提だと思う。そこで、本来の意味をなくした、いわゆる退化したデザインがあると思う。それに気づいたきっかけはネクタイ。非常に意味がない。それとスーツの襟にあるボタンの穴。既に飾り。少しでしゃばると余計なものになりかねない微妙なラインだけど、見慣れているので許容できてしまう。機能的な要素だけで見た時に、果たして彼らは必要とされているのだろうか?
■牛めし(笑)
牛めしを食べに行ったら(並)が(笑)に見えた。たぶん疲れてるだけ。
それだけ(笑)も市民権を得始めているわけで。
誰かが、文末に(笑)が付加すると「笑わなきゃいけないとか」と気持ち悪くなるとか言っていたのを思い出した。
■主人公が心情を語らないストーリー
たいてい物語は主人公の心情を追うことで読み進めるものだが、最後の最後まで主人公の本音が分からない物語があった。昔、ジブリ作品ではレアな作品「海がきこえる」を見たときに気づいていたこと。この作品で、主人公は最後の最後でやっと自分の心情を語るのである。それまではなんとなく推測できていたけど、最後に本音を語られた時、うまく計算に乗せられたような感覚になった。種明かし的な展開は好きじゃないけど、最近、そういう計算が妙に清清しく感じる時がある。
■視点の探求(視覚の探求)
いわゆるステレオタイプな視点以外の視点や新しい視覚はないかということだ。
例えば、魚を真正面から見た図だとか。同じものを見ていても他人はまったく違う見方をしているだとか。
いくつかの要素に分けてみると
・ポジション
・アングル
・フォーカス
・カラー
となる。
そして、私が今一番興味があるのはカラー。一番分からない領域だし不確かな領域。
■動画と静止画のルール
「動画のような静止画」と「静止画のような動画」は良い質の傾向がある。
これはだいぶ前から持っていたルールで私自身の課題でもある。
今にも動き出しそうな写真はすばらしいと思うし
どのカットも絵画になりうる動画はすばらしいと思う。
■回転ドアのメリット
いたましい事故がおきまして、ご冥福をお祈りしつつ
世論が回転ドア批判に走り出しそうなので、個人的に回転ドアをあえて弁護してみようと思った。
だいたいの予想どおり回転ドアのメリットは次のとおりである。
・室内の保温保湿
・室内にゴミや虫が入らない
・引き戸のような段差がないのでバリアフリーである
3番目は気づかなかった。
とまぁ、意味なくドアを回転させるわけがなく、ちゃんと機能的である。
今回の事故は明らかに回転ドアそのものの欠陥が要因ではなく、安全対策を怠った管理者の明らかな業務上の過失である。
と擁護してみたものの、いわゆる回転系の文明の利器には事故がつきものだったのではないかと思う。例えば、エスカレーターとか。ユーザー側が慣れたから事故は減ったものの、けっこう危険な代物なのでは。自動車のパワーウインドウで死亡事故も起きたこともあったし、回転系の自動化は怖いものだ。死亡事故がおきないと動かない業者や行政もどうかと思うと責任転嫁して、この考察を終了。
■ゆとり教育のはて
あんまりいろいろ言及するつもりはないけどさ。
ちょっと心配なのは親の存在。なんか行政と教師にお任せしますみたいな態度が多い。自分の子供たちが使う教科書ぐらい選んだらどうなんだよと言いたい>PTAに。

インテンシブ第一回公演「最終試験」

たいそうな公演ってわけではないんですけど。
しかも最初で最後の公演でしたし。
いわゆるお笑いのイベントだったんですけど、
深い部分からデザインとかをやらせていただきました。
こんなにイベント事に携わったのは中学校以来だと思います。
んで、写真がフライヤーなんですけど、とてもお笑いとは思えなのですが。
そんなにトーンは外していないから満足はいっています。
「容花」という小説を書いてから、計算してモノを作れるようになったと気がします。
恣意的といってしまえばそれまでなんですけど。
ディテールを何度も調整したり、スタディを繰り返したり、
デザインする上では当たり前の事なんですけど
それが少しずつできるようになって
逆に言えば自分の限界とか見えてきた感じでした。

行方不明

また、物をなくしたわけではなくて
そういう展覧会の題名。
課題の写真を撮りに青山のspiralに行ったら
『[鈴木康宏-山極満博]展 art-life vol.2 行方不明』
ってのがやってました。
なんか最終日だったらしくラッキーでした。
鈴木康宏さんの作品を存じていたので偶然の出会いに興奮しっぱなし。
去年の6月に東大の先端研公開研究会でみた作品のグレードアップ版だった。
葉っぱの形をした紙に目の絵が描いてあって(開いてる目と閉じてる目)
それを木のカタチした吹き上げ装置に投げ込むと、その装置のてっぺんから
その紙が吹き上げて、ひらひらと落ちてくる。
それがまるで一つ一つの葉が瞬きをしているかのように見えるのです。
公開研究会の時は規模も小さかったし、紙の数も少なかったので、正直微妙と思っていたけど、大量に攻められると圧巻。20万枚くらい用意したらしい。
一気に引き込まれましたね。
やっぱり、今一番魅力的なのはインスタレーションだなぁとつくづく思う。
山極さんは存じてませんでしたが、広告みたいな作品が幾つか。
共感できる部分と共感できない部分があったり。勉強不足です。
面白かったのは小さいパラシュートが落ちてて、見上げると飛行機の模型があった。
あ、やっぱりこういうストーリーを想像させる装置っていいと思う。
んで、目的を終えて青山でちょっとまったりお茶して帰りました。
青山でバイトして良かったと思うことは
綺麗な人を見れる事と
いいかんじのカフェを知ることができたって事ですかね。
青山でデートしたいって方はよさげなカフェ紹介しますよ。

CDCC 2003

バイト先に近いのに行ったのは最終日の前日。
Canon Digital Creator Contest 2003 を見に行きました。なんだかね。ええ、よかったですよ。写真はやっぱり綺麗だし。面白いのもあったし。でもね、デジタルとかアナログとかの区別するのはそろそろどうなんだろと思ってしまう。どっちでもいいじゃん。質のいい表現ができればさ。