映画「キリエのうた」

約3時間の長尺ながらも鑑賞後の読了感?としてはこれまでの岩井作品とあまり変わらなかった。展開も熱量も「岩井さん相変わらず若いなぁ」と思うばかりで、相対的に自分の加齢を感じてしまった。

作品としては結構わかりやすく、原罪と贖罪の話。震災後、震災文学に共通するテーマ。赦しを求めて赦し許される話。新海さんのすずめの戸締まりでも、朝ドラのおかえりモネでもあった構図。それが歌を通じてストーリーが紡がれる。

ところで、最近の王道の作品ばかり鑑賞していたせいか、岩井さんの時間軸の切り刻み方に久々に触れて、ふわふわとしたショットとは別に、岩井さんらしさを改めて感じた。大きく分けて3つの時代を自由自在にいったりきたり。珍しく回想の回想の導入はあったものの、慣れないと置いていかれる人もいそうだ。

肝心の音楽は音楽映画というだけあって、沢山歌い上げるシーンが多く、長尺になってしまった所以だと思われる。とはいえ、爆音で良い音楽が聞けるのは好い。

また、ちょい役でもいろんな人たちがキャスティングされていて、ラストレターの庵野さんに続き樋口さんが出てたり、久々にお目にかかる大塚愛や安藤裕子がしれっと出てたり。事前情報無しだとちょっとノイズになってしまった。反面、広瀬すずはじめ常連組も多くてその面では安定感抜群だった。

ラストレターほど琴線には触れなかったけども、とはいえ中でもぐっと来たのは、大阪でルカと七尾旅人が演じるストリートミュージシャンとの触れ合いの場面。音楽とストリートへの傾倒する萌芽だと思うが、この掛け合いの「音痴の聖歌」が秀逸で、エンドロールでも使われた。刹那的で奇跡の瞬間。永遠には続かない。ストリートミュージックそのものだった。

映画「マイ・エレメント」

ピクサーとしてはおそらく初のド直球のラブストーリーだったのでは?と思うくらい王道のラブストーリーだった。

この手の非日常の設定の日常を描くモノは、細かいところをツッコミ出すと野暮なので、淡々とノリでストーリーを受け入れるのが良いと思う。借景としてはロミジュリであったり、テーマとしては多様性と異文化理解であったり、そこまで奇をてらったものでもなく。ポリコレな説教臭さも特に感じなかった。

やや、残念な点としては、やはりローカライズ後のフォント問題。これまでよりは改善はあったと思うものの、違和感を感じた時点で負けなような気がしている。

一方で、今回一番惹かれたポイントは音楽だった。おそらく炎のモチーフとしては、チャイナタウンやアジア系を意識していると思うけども、劇中歌や劇伴にもちゃんと昇華されていて、新しさもあったし、単純に好いな、と思った。

映画「君たちはどう生きるか」

ネタバレに遭遇しないうちにさくさくみてきた。

何も事前情報無しにひたすらストーリーを受け取るのは久々の体験で、こういうのもたまには良いなと思ったのと、個人的には刺さる内容でもあった。ただ、これは今までのジブリ作品に触れてきた積み重ねがあった上での話なので、単体の作品として見たときは、宣伝しづらいだろうな、というのも理解できた。

ストーリーも音楽もひたすら自制的・内省的で、「風立ちぬ」ほど苛烈さは無かったものの、「私はこうやってきた」というのを、ぽんっと提示され、それは淋しくもあり、かつ80歳過ぎの死生観も垣間見れたような気がした。

コミカルにしようと思えばできそうな、感動的にしようと思えばできそうな要素はあったものの、あえてなのかなんなのか、さらっときてしまう。もう少しインコの世界観を描く方向性もあっただろうに導入描写がない。クライマックスでは母子の時空を超えた邂逅なのに、母は「おまえは本当にいい子だね」っとさらっと言ってしまう。盛り上がらない。予告編は作ったようだけど、素直にこのトーンを伝えてしまうと興行的に厳しいと判断したのだろう。ゆえに今回の施策に至ったのでは。

音楽はやや不満だった。久石ファンなだけに期待値が高すぎただけかもしれない。久石節は無かったように思う。あえてそうしたのだろう。正直印象に残っているメロディラインがない。そもそもBGMの割合が少なかったようにも思う。

キャストはすぐに分かった人もいれば、分からない人もいた。早くパンフレットが欲しい。

映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」

良い意味で壮大な内輪ウケの映画だったと思う。

キャラの一挙手一投足やアイテムやステージの構造までもがゲームを想起させるものだった。細かな演出は流石イルミネーションといったところ。ストーリーは物語をなんとか推進させるものなのかなとあまり期待していなかったが、ある意味これまでのゲームに付随するショートストーリーの伏線を回収するしているようにも思えた。

マリオオデッセイやUSJのニンテンドーワールドが上手いこと助走になっていて、3DCGのマリオやあの世界観をすんなり受け入れられた。

さて、ここまでくるとマリオを知らない人が見たらどうなるのか、ちょっと想像ができない。ほとんどの人がマリオを知っていて、例え内輪ウケであってもそれが広ければ全然OKだったということだろう。リア五輪の閉会式で披露した時の反響しかり(東京五輪のオープニングにも出て欲しかったが)。

続編が出そうな雰囲気はある。まだまだマリオの構成要素は出しきれていないだろう。楽しみにしたい。

映画「すずめの戸締り」

やや惰性の雰囲気もありつつ観てきました。もう一回くらい観たいけど、前の2作よりはエモさは薄れたので、やや熱は引いてしまったかもしれない。

この映画は前提条件が難しくて、東日本大震災を経験しているか、ジブリをそれなりに見ているか、星を追う子どもを観ているか、などで、感想が全然変わるだろうなと思う。

震災文学として

パンフでも語られてたけど、震災から10年以上経ち、東日本大震災を経験した人が徐々に少なくなっている。経験者にとって当時を想起させる描写が幾度となく登場するが、当時の生々しさを伝えるのにはちょうど良いのかもしれない。まだ前2作はオブラートに包まれた比喩的なものだった。生々しすぎると抵抗ある人もいるかもしれない。なので感じ方がここで変わる。これは朝ドラでも見られた現象で、震災直後の「あまちゃん」では直接的な震災の描写は避けられていたが、「おかえりモネ」では生々しさがマシマシの設定・描写だった。

ジブリのオマージュとして

色々な演出の符号として、ジブリの影響が伝わってくる。これもパンフの中で語られているか、魔女宅をあえて?だいぶ?意識したものだったと。そこで思い当たるのが「星を追う子ども」という作品。奇しくも震災直後に発表された新海さんの作品。この作品の特徴的だったのはジブリの好きなところ全部乗せみたいな作品だった。これでの新海さんの純文学的な世界からはかけ離れた作品だったので、期待値のズレを感じる部分もあるが、ジブリ以外のスタジオから当時もっともジブリらしい作品を作り出したのには驚きだった。今回はソレの踏襲だった。前2作と比べると情緒的なモノローグやPVのようなエモーショナルな演出は封印された。こういうジブリ風味の演出もできるというところを見せつけているかのようだ。「新境地だ!」という感想を持った人もいるかもしれないが、自分としては「そっちで来たか」という感じだった。決してネガティブな意味ではない。

とはいえ、新海さんのらしい要素(年上女性と少年/青年の交流)は残っていて、芹澤が良いキャラなので、彼を愛でるだけでも味わい深い作品になるかもしれない。ただ、これまでよりはエモさをくすぐる演出が少ないので刺激不足に思う人もいるかもしれない。故に、自分の中で今ひとつ盛り上がっていない。