分裂する世界

ダウンロードしたまま放置していたデス・ストランディングをようやくクリアした。良いビジュアルとストーリーと音楽だった。そして、その世界の始まりのような状況が現実世界でおき始めていた。

数ヶ月前には考えられない状況になった。年明け、中国で妙な風邪が流行ってるとニュースで聞き封じ込めに必死だったように思う。まだまだ対岸の火事だった。数年前に流行ったSARSやMARSのように終息することを期待していた。

それがあっという間に海を渡った。その頃、長男がインフルエンザになって肝を冷やしたが、まだ自分ごとにするには実感がなかった。マスクが枯渇し始めた。

そして学期末を目前にして一斉休校。冗長化が効かない世界だということがよく分かった。連鎖するように在宅勤務する人が増えた。 これは結果としてよかったのかもしれない。

この頃、仕事の方は試しにリモートワークで実施できないか根回しをした。上の人たちは乗り気じゃなかったが、個人的には良い機会だと思った。パンデミックになった時にドタバタしないように課題を潰しておきたかった。そしてそれは杞憂に終わらなかった。

在宅勤務にはいくつか功罪があった。良くも悪くも残業が減った。つまり生産性は多少落ちた。無駄な会議は減った用に思う。ただ入れ替わるように、無駄な報告ルーチンが増えた。

家族と過ごす時間が増えた。これは素直に良かった。夜の余暇の時間も増えた。これも良かった。積み本や先のゲームの消化が進んだ。

完全になくなったものがある。朝の通勤電車の中でルーチンっでやっていた英語のドリル。やるタイミングを失い完全に断絶してしまった。

もうちょっと比較できる数値が出揃ったら、健康面や家計面でもチェックしてみたいと思う。

今現在の雰囲気は、GW明けに終息すると楽観する人と、まだまだ続くだろうと人とまちまちだ。自分はどちらかというと後者だ。スペインかぜの時は終息に2年をようしたという。今回はかなり似たような経過をたどるのではないだろうか。

終息後、何もかもがまったく元通りとなるとは思えないのだ。終息するというよりは徐々に日常化していくのではないだろうか。古くは結核やインフルエンザやHIVなどのように。

ワクチンができるか、特効薬ができるか、さっぱり分からない。インフルエンザのように抗体が長く持たないのであれば、毎年のように予防接種が必要になる。BCGが効果があるとされるなら、その線もあるだろう。ワクチンが期待できなければ、HIVのように抗ウイルス薬に期待するしかない。

それまでの間、世界のありようはかなり変わるのかもしれない。今は徐々に世界が分裂している状態だ。それをつなぎなおす時、今までと同じようにはつながらにだろう。きっと新しい世界になる。それは新しい進化のチャンスでもある。

例えばオフィスワークの在宅勤務はもっと当たり前になるだろう。週の何度か集まれば良いとか、働く人と会社との関係も変わるだろう。勤務時間は形骸化して一層成果主義になる可能性すらある。

学校もよりリモートが増えるかもしれない。いわゆるIT化をすすめる大きなチャンスでもある。旧来からあるいくつかの行事はなくなる可能性もある。

リアルな仕事は価値がもっと変わるだろう。そもそも労働者不足の危機にさらされていた。自動化もさることながら、リアルであることの付加価値がより高まる。

デリバリーフードは盛り上がりそうだ。物流は平準化が進み、運び屋の需要が増える。外食産業は 抜本的な終息がない限り、従来のような営業形態は敬遠される。 UberEats などを介して対応していかないと生き残れないかもしれない。

エンターテイメントはあり方がガラッと変わる。近年はライブ回帰であったが、これも抜本的な終息がない限り敬遠される。ここは5Gを目前として様々な手法が提案されている。そのうちのいずれか、あるいは全く別のものが、デファクトになるかもしれない。

経済環境はもともと厳しかったので、景気的にいうと底を付くのはもうちょっと先だろう。歴史にならえば少なくとも2-3年は後退局面だろう。ただ今回のショックが長引けば回復にはもっと時間を要する。

税制あたりは改めて考え直す機運があるかもしれない。具体的にはマイナンバーやベーシックインカムの話は再燃するかもしれない。というのも今現在、政府は現金給付という手段が迅速にとれなかった。直接個人にリーチできる手段がないのだ。これは国が個人を管理することとトレードオフだ。それは日本はかなり拒否反応がある。それはもっともでもある。

ざっくりとした表現をすると、これを機に、コミュニケーションのありようがあらゆるところで変わる。失う形態もあれば、新しい形態もある。新しい形態を自分たちで模索できる機会と思えば、多少、希望があるかもしれない。

映画「ラストレター」

久々に岩井さんの映画を見て、岩井さんの世界に浸り、泣かされました。

近年の作品はあまり見てなかったのですが、思い立って観に行きました。テーマも音楽も久々にぐっとくる映画で、従来ファンには嬉しいのではありますが、岩井さんの映画を知らない人が見た時の評価はなんとなく分かれそうだなというのが真っ先の感想です。もうちょっと言うと岩井さんの作り出す映像美は、万人受けするものではないかなと思うし、ただ、呼応する時は、とても深く響くだろうなと思うわけです。

撮影手法はさすがの一言。フォーカスの受け渡しや、ドローンによる撮影など、挑戦的なものもあれば、セオリーどおりアクションラインの制御やコマ割りもさすがでした。また、ナチュラル系の演出は最近は是枝さんが筆頭ですが、(元祖というわけでないですが)やはり子どもたちの演出や俳優たちのポテンシャルを引き出すのはさすがで、特に少年たちが群像でわらわらするシーンが印象的でした。一人二役を演じた2人の俳優もさすがでした。

構造(主要な主人公が一人不在、一人二役、手紙に行き違い、などなど)としては Love Letter を踏襲するものの、テーマとしては普遍的でもありながら、より重苦しい題材というか命題を選んだなと。青春といえば青春ですが、どちらかというとその後の人の人生の黒々とした濁流を垣間見た気がしました。それがトヨエツや中山美穂が出てくるシーンであったり、描かれていない高校卒業後の陰の部分があり。それに対比するかのように高校時代や子どもたちの青春が描かれていました。Love Letter の時よりそのコントラストがきつかったなと。そして、壮年や初老・老後の人々の営みが垣間見れると、岩井さんも自分たちもそれ相応に歳をとったのだなと。

そして、最後の最後で「ラストレター」の意味を回収していくのですが、それはたぶん上の世代から下の世代への普遍的なメッセージなのかなと思うところもあり、時代が経ってもこのメッセージは色褪せないだろうなと思いました。

映画「アナと雪の女王2」

率直な感想としては、こっちの方が本編だったのでは?と思うほど、ストーリーも整っていましたし、世界観も程よく広く、よりファンタジーと冒険の物語だったように思いました。前作は冒険という点ではあまり展開がなかったのかなと。

ただ、音楽は前作がキャッチーすぎたので、なかなかそこまでには到達できず。(みんなで合唱鑑賞しようとか変なことにはならなそうなので、それはそれでいいんですが)

音楽のジャンル的には幅が広くなったし(パロディっちゃパロディもありましたが)、宣伝で推してくる音楽よりキャッチーなメロディは他にもあったものの、ネタバレということであまり使われず。鑑賞したあとはいい音楽をたっぷり堪能したなーという感じもありました。

前作知らないと分からない部分は若干ありましたが、ターミネーターみたく、2から導入でも全然OKな作品なんじゃないかなと。続編はもうちょっとなさそうですけど。

映画「アラジン」

レイトショーのありがたみと感じる今日このごろ。

アラジンといえば小学校低学年の時に友達がVHSだかを持っていて鑑賞したのを覚えています。初めてディズニーアニメとのまともな対面だったかなと。その当時はディズニーのことも山ちゃんのことも知りませんでしたし、思えば初代のアラジンの声は羽賀研二だったなぁと記憶してます。

それが昨今の流れに乗って実写化。予告編でも話題になってましたが、ウィル・スミスがまんまウィル・スミスでした。果たして青い必要があったのか、そこそこ疑問ですが、これもアニメの下地があったからなんでしょう。アニメ版がなかったら不可解なところがあったかもしれないです。

一応、山ちゃんやらの声を聞きたかったので吹替版を鑑賞。アラジンもジャスミンも違和感なく、むしろいい感じに中和されて良かったです 。(言い方が微妙ですが、顔が濃い面々だったのでしつこさが軽減された感じ)

ストーリーは若干アレンジされ、やや時代に沿った内容に。アクション系が演出上少しアニメ版よりは省略されて、ラブコメ展開が追加されてました。この雰囲気はどこかで見たことあるなーと思ったら、よくあるシチュエーション・コメディっぽい感じ。早回しの感じもおそらくそんな感じ。

音楽はというとアランメンケン三昧。映画館で大音量で聞けるのは素晴らしいなと。家ではなかなできないので、レイトショーありがたいです。

唯一といっていいか微妙ですが、後半にかけてエンディングに向けた演出スピードの失速感が否めず、せっかく回想方式を採用したのだから、語り部に最終的に帰着するという手もあったかと思うのですが、たぶんその線も作ってたんでしょうけど、大円団という感じには至らず。結構、ディズニーアニメは後半たたみかけて展開が早くなる傾向にあるので、そこに期待値を持っていってしまったなと。

春の運動会

運動会といえば秋の開催が定番かと思っていたのですが、都会の方では春開催が多いらしいです。一説には中学受験を考慮しているとのことですが、真意はよく分かりません。秋冬はイベントが多い傾向にもあるので、バランスを取っているのかもしれません。

さて、長男は小学校に入学して1カ月ちょっとですが、運動会への本格的な準備は5月から始めたそうです。出し物のダンスは2週間程度で覚えたとか。学校教育の凄さを目の当たりにしました。

長男の出番としては以下の通り。

  • ダンス
  • かけっこ
  • 玉入れ+ダンス

自分に似て足が遅いためかけっこはビリでリレーにも当然選ばれず。自分のことを言うと高学年になるまで運動はまるで駄目で、筋肉が付き始めてから足が早くなったり、それこそリレーに選ばれたりと、同じようなタイプのような気がしてます。

ダンスは今どきの音楽で、誰が選曲したり振り付けしてるのかが気になりました。玉入れは趣向を凝らしていて、玉入れの合間にダンス、あるいはダンスの合間に玉入れというか、見ていて面白かったです。こちらも今どきの音楽。しかもリリースされて間もない。保守的な選曲にならず、結構柔軟性があるのだなとちょっと関心しました。

長男のしろ組は負けてしまいましたが、クラスメートと和気あいあいとしている様子も見れて、親睦も深まったようですし、意外と春開催も悪くないかもしれないです。

親としては、写真やら何やらが失敗してしまったので、あともう5年続く行事ですから(次男を入れれば10年近く?)、親としては徐々にいろいろ改善していきたいと思います。

 

あとは気づいたことをいくつか。

 

やっぱり狭い

気づいていたのですが、近場の小学校に比べるとだいぶ校庭が狭いです。おそらく50m走のトラックは対角線に引いてやっと確保できる感じ。観客席も当然狭いので、ゆずりあったり、校舎の3階を開放したりと、なかなか新鮮な体験でした。休憩場所として体育館も開放していたのですが、動線の確保が難しいのか、体育館や裏通路を駆使して、次の出番の生徒は準備をしていました。

 

進行が速い

たぶん田舎がゆったり過ぎなんでしょう。進行が速いし、係の先生や生徒の動きもテキパキしているのが印象的でした。仕事をしている身としてはそれくらいは普通なのですが、その普通のレベルが小学生ができちゃったりするとちょっとびっくりします。中にはふざけ合う生徒たちもいましたが、役割をちゃんと果たせる生徒たちが居るというのも良くも悪くも印象的でした。(悪くも というのは、やや役割を淡々とこなしすぎてる感も無きにしもあらず)

 

お昼は家に帰る人が多い

田舎出身の感覚だと、お昼ご飯は家族が見ている観客席へ行って一緒に食べる印象でしたが、そういったことはありませんでした。生徒たちはお弁当ですが、教室で食べます。一応、体育館は開放されているので、家族はそこで食べられるのですが、全体の数から見てほとんど一旦家かどこかへ食べにいったようでした。狭い区画でもありますし、5分~10分で家に帰れるわけで、ずっと出番があるわけでもないので、お昼以外でもちょこちょこ中抜けしている人が多そうでした。

 

カメラとビデオの再考

狭いということもあったので、ズーム5倍のコンデジとスマホだけで臨みましたが、結果はなんとも芳しく無く。

まず、写真かビデオかという点でいうと、ビデオはあった方がいいかもしれないというのが今のところの気持ちです。ただそれはスマホでもいいかもしれません。運動会だけでいうと出番は3回程度ですし、たぶん合わせても30分あるかどうかです。ただ、スチル写真だけで充分かと言われると、相当良いポジション&構図で撮れれば別ですが、なかなか満足度は得にくいかなと思いました。多少手ぶれがあったとして、ビデオの方が現場の空気は伝わるのではと思っています。ただ、引きの画をずっと定点で撮影するのも違う気もしますし。

また、スチル写真のカメラの方を見直そうとすると、まずズーム。5倍では全然足りませんでした。せめて10倍は欲しかったところです。焦点距離でいうと200mmや300mm以上。ただ、それを一眼レフで実現するとなると結構な大きさのレンズになってっしまうので、それならばズームが特徴のコンデジを買ってしまった方がトータルとしては安いかも。

あとはポジショニングですが、これはなかなか難しいです。かけっこ以外は被写体がどの位置にくるかさっぱり分からない。機動力や場所の狭さ・制限を考えるとあまり大きいレンズは難点です。

などなど考えるとこの時期だけビデオカメラやコンデジをレンタルしてしまった方が全体の満足度は高くなりそうです。

 

ちなみに3階から見た様子。

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