flex life

 なかなか寝付けない夜にテレビのスイッチを入れてみると砂嵐がざぁざぁと。某国営放送局は訳の分からない映像を垂れ流しだし、深夜にやる映画はそれなりに面白いけどつまらないし。朝方になってくるとちらほらニュースや天気予報が始まる。あるいは、うさんくさい外国のショッピング番組とかやってる。そんな中、あるテレビ局で数分間、音楽を流す番組がある。とりわけ、つ○くプロデュースのポップスが流れるのだが、一つだけ気になったユニットがあった。それが「flex life」である。直訳すると『曲がりくねった人生?』まぁいいや、そんなことは。
 曲調はフランクな感じで、どっちかっていうと落ち着いた感じ。何より一番気になったのは歌声。ハスキーなようで、しっとりと耳に軟着陸する感じで、一言では『華奢な声』に聞こえた。「たくましい強さ」っていうよりは「けなげな強さ」って感じですかね。歌詞もこの時期の私にはヒットでした。夏の夕方にしっとりとした雰囲気にぴったりじゃないかな。
※オススメは『夢を慕いて』と『getting better』です。
家頁はコチラ→http://www.yo.rim.or.jp/~flexlife/

『創造は発見である』

 何か表題がエラそうですね。でもコレは私が常々思っていることです。ちょっと数学チックな説明します。
 例えば音楽について。西洋音楽の場合、12音×8オクターヴと2の累乗分割のテンポですべての音を定義します。
作曲する時、永遠に続く曲は現実的に不可能なので適当な時間枠が生じます。すると無数の音の組み合わせが数えることができます。
けれども無限ではありません。限界があるのです。
その全事象を1とすると、実際に良い曲と聞こえる音の組み合わせは1のうちの何割かにすぎません。
そしてさらにその何割かはスコアとして我々は目にしているでせう。残りの何割かを作曲家たちは『発見』しようとするわけです。
 これはシナリオなどにも言えることで、シェークスピアでほとんどのパターンは出尽くしたと言われています。
奇抜なパターンを見つけたとしても、それは先人がすでに発見したものの淘汰されたものかもしれません。
 極端な言い方をしてしまえば、我々がゼロから創り上げたモノと思っているモノはすでに何処かに存在していて、たまたま我々が
『発見』したのではないかと思うのです。だから私は新しいストーリーやアイデアが浮かんだときは『あっ、見つけた』と叫びます。
たとえバッハが小フーガを作曲しなくとも、いずれ誰かが同じモノを作曲したのでは無いかと思うのです。
 万有引力や微分積分法を発見したニュートンの遺言にはこんな行がありました。
「私の発見したものは海岸で拾った小さな貝殻にすぎない。
しかし前を見れば広大な海があるではないか」(確かこんな感じでした)