御香

最近、ちょっと御香を始めてみたんですけど、部屋が狭いせいかちょっと煙い。
風邪による咳なのか、よくわかりませんが、ちょっと喉の調子が思わしくないです。
実家では母親が好きでよく御香をたいておりましたが。
やっぱり部屋が狭いからか。
ここで少し薀蓄。
昔の人は香りの認知の事を「聞こえる」と言ったそうです。
「聞香」と言ったりするそうですが。嗅ぐというよりは、香りを味わうという意味合いです。

節分

今日は節分なわけで。
父上の誕生日じゃん!おめでとうございます。
最近、読んでいた本に節分のことが書いてあったので引用します。

「ではなぜ、里の人々は山から来るものを畏怖したのでしょうか。
 オオカミやイノシシのような動物に対する怖れもあったとおもいますが、山には里にはない格別のスピリットやエネルギーがあると考えられたからです。
 山形県庄内地方にはモリノヤマとよばれている祖霊の宿る山がいくつもあります。この祖霊は山の神ですが、春になると山を降りて田の神になり、秋の収穫期になるとまた山に帰ると信じられている。鳥取因幡の須賀山付近の村では正月になると山の赤土を取ってきて、家々はこの土を紙になすりつけて家内に飾ります。奈良十津川では正月に入ってイノシシやシカの皮を剥ぎ、サンマイ(肝臓)に山刀で七つの刻みを入れて山の神に供える風習があります。いま「魚をサンマイにおろす」などとつかうのは、この内臓の意味です。
 もっと一般的には、われわれが正月に松飾りをすること自体が、そもそも山に生えている松や竹などのシンボルを飾るのにも、同じ意味がある。また正月を松の内と呼ぶのも、そのスピリットをしばらく里に充電するための期間をあらわしているのです。そして、今日の生活感覚でいうなら、この充電がおわるころが節分なのです。その節分の豆を撒くのも、わかりやすくいうなら、里のシンボルである豆を山人としての『鬼』に持って帰ってもらうというお礼の意味がこもっている。われわれは口々に「鬼は外」とはいいますが、その「鬼」は里が一年間必要とするスピリットやエネルギーのことなのです。」
(「花鳥風月の科学」松岡正剛著)

すげー勉強になる。。。
もう少しエネルギーが欲しいので鬼には憑いててほしいもんです。
まだ帰らんといて。

卒業制作

去年の12月くらいから、このようなものを作っていたのでございます。
どんなモノかといいますと、遠くの場所に吹いている風を運んできて、リアルタイムに再現するモノです。
詳しいことはコチラ
僕が思うにコレは異常なアイデアだったなと思います。
だって、完成が全然見えないんですもの。ただ「いいなぁ」と思う部分を目指して作った作品です。

11月のネタ帳から

※ORFだったので少なめ。(また言い訳)
■呼ぶと飲み物を運んでくれるコースター
「へい、おまちっ!」って感じで。
重いと動けないけど。
■工芸携帯電話
陶器でできてたり、織物でできてたり。
■風の音
風のことばっかり考えてたら、風の音が気になってきた。
アウトプットにどうなり得るか。
■評論から告白へ
最近、みなさんが自分の趣味嗜好をさらけ出そうとしてる感じがします。
■偶数と奇数はどっちが好きか?
私はなんとなく奇数が好きです。「3」とか「7」とか。
なぜだか、なんとなく「17」という数字が一番好きです。
■作家か作品か
本にしろ映画にしろ音楽にしろ、私は作家買いはあまりしません。
同じ作家でも好みが分かれるので。

映画「雲のむこう、約束の場所」

見ちゃった。。。
ORFも終わったので、息抜き。
休日に東京へ行ってっていうのも面倒だと思って、友人を巻き込んでバイトの帰りに見に行きました。
それが幸い。
監督の新海さんと音楽の天門さんの舞台挨拶がありました。
複数回目らしいので司会者もおらず、まったりムード。
サインも頂きました。なんてラッキー。
(早稲田祭の時の音楽イベントの時も、capsuleの中田ヤスタカ氏だけのはずが、急遽、ボーカルのこしじまとしこさんも参加して、生capsuleライブ。なんか最近ラッキーだわ)
内容はというと、年代的にダイレクトというよりもちょっと外れてる感じ。
ちょうど兄と同じ年代なので、少し上の世代の物語を見ている感じだった。
田舎の風景は刺激されまくりでしたけど。
絵のクオリティは最高でした。ジ○リを超えてるんじゃないかと。もう芸術なんじゃないかと。
あの雲とか、あの廃墟とか、あの坂道とか。静止画でも見とれてしまいます。
いつもそうなんですけど、こういう絵をみたり映画をみたりすると、絵を描きたくなったり、音楽を作りたくなったりします。刺激されるわけです。そのたびにつくづく、芸術ってすごいなぁって思います。
スタッフロールはきっと短いんだろうなぁっと思ったら、それ以上に多かったです。
もう自主制作ではないのですね。
とにかく、拍手です。