読みたい本

滅多に本なんて読まないのに。
読まなきゃいけないってかんじ。
私には研究が足りないのですよ。
こういうのを読んで勉強しましょ。
□マーシャル・マクルーハン関連書籍
 ■グローバル・ヴィレッジ―21世紀の生とメディアの転換
 ■マクルーハン理論―電子メディアの可能性
 ■メディアの法則
 ■メディア論―人間の拡張の諸相
 ■グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成
 ■メディアはマッサージである
メディア論とか情報論とか勉強してる人はきっと有名すぎる人。
□エイゼンシュタイン関連書籍
って、あんまりない・・・
まぁ、モンタージュ論をもっかいやってみたいだけ。
□オートマトン関連書籍
前に研究会に所属していた(今期もやるかもしれないけど)
先生がオートマトン理論の勉強会を開くらしく
時間的に、勉強会は出れそうにないので
自分で勉強するしかないかなぁ。
複雑系も関係してるので、興味はありあり。

始動

学校が始まりました。
バイトをするためにオフを作るために少し躍起になって
1限から授業にでたら、疲れました。
>映画
やりますよ。ええ。撮ります。

最近、思うこと

■自炊
電子レンジが壊れているので自然と出来合モノのおかずは買わなくなる。
で、やっぱり、温かい料理を食べたくなるので自然と自炊が増える。
作るまではいいのですが、洗い物が少しばかり億劫になる。
■サイコ
自分は少しサイコッ気があるらしいです。
道義的に良くないことだと承知していても
生理的に興奮してしまうんです。
性的に感じているかもしれません。
■抵抗
夏休みが終わりに近づくにつれて
何もなかった現実に必死に抵抗しようと
なんかやたらとはしゃいでいる。
飲んだり、遊んだり、飲んだり、愚痴ったり。
特に映画を作ろうかといろいろ動きすぎて
いつまでこのモチベーションが続くのか不安だったりする。

死への願望

 いきなり重い内容ですいません。
 こんな告白をしてしまって良いのだろうか(汗)
 私は中学くらいの時から自殺願望があると思っている。自傷願望とは確実に違う。自分の身体を傷つけることなんてできっこないし、なにより自分が大事なのだから。逆にそれがジレンマを生んでいる。自殺願望はあるけれども、それを出来る勇気も無い。自殺願望というよりは、死への願望があるのだと思う。いっそのこと殺してくれと冗談で言ったりしたけれども、半分本気だったりする。死に対して何か道義的な意義が発生すれば、私はためらいもなく自分の命を差し出してしまうのでは無いかと思ったこともある。
 昔は自殺は卑怯だとか、生きていれば何とかなるとか、どっかの受け売りみたいな事を言っていた時期もあった。しかし、それはまったく説得力がなく、自分でも腑に落ちないところがあった。自殺の原因は絶望だけなのだろうか。私の見いだした答えは「虚無」である。おそらく私は何も無くなった時に自殺するだろうと。人は何も無くなったときに自殺する。というか、死んでも許される。実際、私の自殺行為を思いとどまらせているのは家族や友人の存在であったり、まだまだやり残したことがあるわけで、自殺でなくて、病死しても私は死にきれない。むしろ、自分の死を少しでも意識することで、「虚無」を感じなくしようとしている意図がある。矛盾するようだが、死への欲望は生きることの原動力になっている。
 しかしながら、今年の2月に以下の事で悩んでいた。否、今も悩んでいる。それをなんとかある話(まだ完成していませんが「優秀児」という話。主人公の友人が自殺し誰宛か分からない遺書が見つかる)に昇華し今は逃避しているのですが、その話に出てくる遺書の内容が私の心情を如実に示唆しているので転載して、この考察を一旦終了したいと思います。

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読みたい本

ここ数日忙しくて体力的にも精神的にも疲れました。
滅多に本なんて読まないので。っていうか、全然読まないので。
読みたい本というよりは、読みたい参考書的なもの。
■『THE SCREENWRITER’S WORKBOOK』
最も有名な脚本術の本の一つ。
まぁ、これは英語なので。といっても翻訳は出てなかったりする。
■別冊宝島144 シナリオ入門 -シド・フィールドのシナリオ講座-
で、上の本を翻訳したようなモノ。
ちゃんと読んだことがないのでもう一度ちゃんと読みたい。
私の映画や脚本に対する姿勢はこの人からほとんど影響をうけております。
■旧約聖書
神話とか昔話には著作権はないし、シノプシスの宝庫であります。
で、ずっとまえから気になっていたのは旧約聖書。
古事記もちゃんと読んでみたい。