2023年振り返り

今年は映画やドラマを例年よりよく見た気がする。

  • 大河ドラマ「どうする家康」
    • 今年も完走。賛否両論あったものの最新の研究を踏まえた解釈と、脚本の妙技に感心した。長男も完走し歴史に興味がでたらしい。
  • 朝ドラ「らんまん」
    • こちらも完走。久々の男性主人公。実際に身近に居たら距離置いちゃうだろうなと思いつつ、演出のおかげでそこまでストレス無く見れた。
  • 夕暮れに、手を繋ぐ
    • 久々の北川さんの痛々しいドラマ。北川さんの脚本はいつもグサグサくる。良い意味で。単なる恋愛ものではなくで、自分の力との向き合い方、仕事の向き合い方、生き方を問いかけてくる。この歳になっても考えさせられる。
  • VIVANT
    • 世間の盛り上がりにつられて視聴。今までの日曜劇場のごった煮のよう。
  • だが、情熱はある
    • オードリー若林と南海キャンディーズ山ちゃんの悲喜こもごもな半生を描いたドラマ。どちらかというと若林より。こういうドラマはあまり面白くなくなる印象があったけど、ストーリーが進むにつれて現実と虚構がごちゃっとなったのが良かった。中でもM-1敗者復活戦のシーンでフル尺の漫才のクオリティが高くでびっくりした。
  • ブラッシュアップライフ
    • タイムリープものだったけども設定落ちにならず新鮮な展開だった。主人公たちと同年代ということもあって、懐かしさもあった。

映画や特筆したいのは割愛。

長男と次男が同じ学校に通う最後の年。運動会や音楽会など一通りイベントは無事終えられて良かった。長男の方は小学校最後の年ということで、なんとなく思い出づくりに力を入れていそう。楽しそうに登校しているのがなによりも良いかな。次男はそろそろ勉強時間を増やしていく感じ。

仕事の方はいうと春から完全に現場復帰したものの半年くらいリハビリ期間のようだった。これからもうちょっと頑張る。頑張れる。

英語の方はぼちぼち続けていて、TOEICはなんとか目標の最低ラインは超えた。まだ伸びしろがあると考えればもうちょっと頑張るのを続けてみるかも。

趣味は再開できず。定期的に自作の曲を聞きたくなる時期が相変わらずやってくる。手持ちのiPadでDTMっぽい事ができることが分かったので、何かするかも。それかやはり単純にプレーしたいから鍵盤が欲しい気もする。

生みの苦しみとさみしい国の人(半分青いの考察)

なんだかんだで朝ドラの半分青いの鑑賞を完走できました。

賛否両論あったようですけど、個人的には気に入っていたし、飽きさせないドラマだったと思います。

印象的だったのは2つか3つ。

クリエーターとしての「生みの苦しみ」を充分に表現できていたこと。2つは震災の描き方が良くも悪くも象徴的だったこと。

 

生みの苦しみについて

いち表現者の端くれだった者としては身につまされる思いであったり、苦々しい思いが(胃液が逆流するような感じが)あったり、特に漫画家編は辛いものがありました。としても共感できるものもあったし、「0→ 1」へのモノづくりを体感したことがない人にはなかなか伝えづらいものがあるので、良い参考作品になった気がしています。(生みの苦しみを伝える一番の参考作品はハチミツとクローバーだと思ってます)

 

さみしい国の人

「さみしい国」の表現は、3月のライオンの主人公を表現するとあるセリフから来ています。(主人公の義理の姉のモノローグで、幼いころ両親をなくした主人公を「とてもさみしい国から来た子」と、不倫相手の妻の病状が芳しくない折、彼が「あの人が行かねばならない(国)」と表現した)

ドラマの終盤、震災による展開がありますが、肉親や親しい人を亡くした時の状況をうまく表現できていたのではないかなと思いました。律の父親である弥一が(妻の死後数年経っても)「悲しみと共に生きている」というセリフに主人公の鈴愛が同調するシーンが印象的で、そこにはなんとも言えない「仲間意識」があるのかなと思いました。つまり当事者でしかわからない「共通意識きっとありそう」だということです。この辺りは下手な同情はかえって逆効果になる所以です。よく親が言っていたような「大人になってみないと分からない」というセリフの裏付けのようにも感じます。一般的には大人になるにつれて親しい人の死に直面していくわけですから。

 

震災の表現について

「震災」の扱いが従来よりも「象徴的」だったと思いました。朝ドラで東日本大震災を扱うのは2作目だったと思いますが、「あまちゃん」の時の震災の表現はとても慎重で、主人公に関わる人の中で犠牲者は出ませんでした。ただ、今回は予兆があったように(ユーコが仙台に行くっていった時点で誰もが予感してたと思いますが)リアルさがあったかどうかは別にして、とても象徴的、言い方は悪いかもしれませんが、物語のなかの1つの舞台あるいは転換点として機能していたと思います。(漫画家編以後からある意味悪い予感の伏線が貼り続けられてたので、2011年にだんだんと近づいているという感覚もあったので、物語全体の3分の1くらいはずっと機能していたことになります。)

ついでに思うこととしては、いわゆる戦前・戦後といった転換点が、従来の方法では、あまり舞台として機能しづらくなっているのかなと思いました。その前だと維新前・維新後が1つの転換だったと思いますが、今となっては歴史的な正しさよりも、ドラマチックなものを表現する、いわば借景する対象になっているようにも感じます。もっと前は戦国時代までさかのぼりますが、その辺りだともうファンタジーばっかり。

戦前を体験している人は日本の全人口の半分もいないわけですから、「風化させてはならない」とは言うものの、従来の悲惨さや反省点のエッセンスがより象徴化されて「消費」されていたのからは反転して、より市井の人々の生活ぶりを丁寧に描写する作品が評価されているように思います。より歴史の1つの事象として定着しつつある心象です。もっと時間が経つとファンタジー化されてしまうかもしれませんが。。。

そして、戦争にとって代わるのが東日本大震災であって、東日本だけというわけでもないく、結構な割合の人たちの心に生々しい記憶がありますから、忘却と反比例するように、リアルを想起させるような「悲惨さ」などのエッセンスを象徴化した作品がだんだんと出てくるのではないかなと思いました。なので、半分青いはその1歩を踏み出した感があります。