時間軸の哲学「記憶と記録」

※研究室のミーティングで「時間軸の思索」と題してネタを出したのだけれど、
結構、広く浅く話題が広がったので、そのまとめの意味も込めて、再考察してみる。
「記憶が記録になる」
それはメディアの進化の歴史そのものだと言えます。
そもそも、記憶と記録の違いは何かというと、「しるす」場所が違います。
記憶は頭の中・脳の中で、記録は外部の媒体に「しるす」。
つまり、メディアが違うのです。


ルネサンスでレオナルド・ダ・ビンチがリアルな絵画を描いたとき
人々は衝撃を受けたといいます。
映画や蓄音機の誕生も同じように人々は驚きました。
私の同じような体験といえば、CGが誕生で
頭の中の妄想でしかなかったものが、
ディスプレイ上に再現されることはかなりの衝撃でした。
「記憶が記録になる」
しかも、今はその記録が半永久的に残ってしまうし
ネットワークにつながってしまえば、たとえHDDからデータが消えたとしても
どこかでキャッシュが残ってしまう可能性もあります。
そのうち、他人の記憶だった記録でさえも
並列化してしまう世界が訪れるのではないかと
妄想してしまいます。
スパイ映画の指令テープみたいに爆発したり、消滅したり、朽ちてゆく記録というものも
必要なのかもしれません。