隣の芝は青いですか?

私の周りの芝はいつも青く茂っております。
自分とは違う状況をうらやましく思うことがしばしばあります。
それがたとえ良い状況にせよ悪い状況にせよ、自分とは違う状況がうらやましく思うのです。
たくさんのお金をもらって優雅に暮らすのもうらやましい。
田んぼや畑を世話しながら素朴に暮らすのもうらやましい。
しかしながら、彼らにとってはそれが普通の状況なのですから、うらやましがられてもちょっと困惑します。便利だとも不便だとも思っていない、普通の状況なのですから、周囲からデメリットやメリットを指摘されたところで、別の視点を再認識する程度で、それまでなのです。
でも、どうなんでしょう。他人をうらやむことはそんなに悪い事じゃない気がするのですよ。自分にとっても相手にとっても。欲望って大切だなと1年くらい前から思っていて、それから派生する嫉妬とかも大切だなと思います。自分よりも下の人を見て安心するような(そもそも何が基準なのか微妙な所ではあるけれど)、隣の芝の青さを見て自分の位置を確認できたり、そういう他人の嫉妬を感じて自分の位置を確認したり、あと自分が何を欲しているのか、相対的に確認できるような気がする。
例えばお金というパラメータを持ち出したら、世界中の人と比べて、自分は普通の人よりは恵まれているなぁと思ったり、一部のお金持ちをうらやましく思ったりする。それほど欲望はかき立てられないから、お金という点では自分は結構現状に満足してたりする。ところが、ペピンの「ポエムの獣」の公演だとか、映画だとかを見ると、自分はお金の使い方が有意義でないなぁと思ってしまう。舞台や映画の主人公達に嫉妬してしまう。お金の量よりも使い方が不満なのです。
ただ気に入らない事は、その芝の青さを知ったかぶって指摘される事です。簡単に言えば、他人にどうこう言われたくないという事です。しばしば評論家がすることで、いかにも価値がある様な言い方をされたところで、本人にとっては普通の事ですから、そこで持てはやされても、ただ困惑してしまいます。いや、嬉しい事ではあるのですが、本質を見失ってはしまわないかと危惧しているのです。
例えば、日本食がどんなに健康的か知らないけれども、私たち日本人にとっては普通の食事だし、今のところ、日本食を健康食だと思って食べる事はないはずです。しかしながら、豆腐や納豆やにがりやら、健康食品だと謳われ始めてから、それらのおいしさを味わう機会を失ったような気がします。健康だから食べる事も別に悪い事ではないですが、おいしいから食べるが一番欲望にかなっているでしょう。
ですから、隣の芝が青くとも、大いに嫉妬するのも良いですが、過剰に評価してしまうのは如何なものかと思うのです。

「隣の芝は青いですか?」への4件のフィードバック

  1. 目標になる前に嫉妬するでしょ。
    それで、自分に不足している物とか無い物が分かるから
    そっから目標になるのが難しいのかなぁと思う。
    それが成長というものかもしれないけど。
    そう言った意味で嫉妬する事を推奨します(汗
    本は読んでおきたいリストに追加しておきます。

コメントは停止中です。