「渡辺」と「村上」の由来

twitterでもちょろっと書いたんですけど、兄から渡辺(自分の姓です)の由来を簡単に聞き、面白そうなので調べてみると、少し因縁めいたものを感じました。後でも説明しますけど、でも直接的証拠ではないので確実とは言えませんが、考古学とはこうやって浪漫を感じるのだなと思った次第です。
さてさて、「渡辺」という漢字からの印象としては、水辺だったり船の渡りを想像することは容易ですが、性格的には「海賊」の要素が強かったようです。


簡単な概略はWikipedia先生から引用すると

地名の渡辺は、中世に摂津国の旧淀川河口近くに存在した渡辺がもっとも有名である。この渡辺は渡辺津と呼ばれる港であり、現在の大阪市中央区の天満橋から天神橋の間辺りにあった。
平安時代後期には嵯峨天皇の後裔の嵯峨源氏の源綱がこの地に住んで渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。源綱(渡辺綱)の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となる。その代表的な支族は西九州の松浦氏であり、松浦氏を惣領とする松浦党である。豊臣氏家臣の渡辺氏や徳川氏譜代の渡辺氏もまた子孫と伝える。

武士団といえばかっこいいかもしれないけど、結局は海賊です。だからこそ全国に渡辺姓が多いのも納得できるのですが、自分の出身は海のない海無し県です。川はあるけどやや海賊やら水軍とは縁遠い気がします。
海辺から移ってきたともいえばそうかもしれませんが、自分の家のお墓は五代くらい前までのがあって、たいそう立派なお墓ではないけれども名前と年号くらいは読めます。自分の知識だとおそらく江戸後期までさかのぼれます。となるとだいぶ前からこの地に根付いていたのかもしれません。
少し話しが変わります。自分の実家のある地域は所属として「坂城町」となっていますが、昔は「村上」という地域でした。戦後約10年後に坂城村と村上村とか川を挟んで合併し坂城町となったのですが、村上という呼称は根強く残っています。
その「村上」の由来は戦国の武将・村上義清がかつてこの地域一帯を本拠地にしていたことにあります。(今、大河ドラマで武田信玄やってますけど、2度ほど武田を退けた武将です。最後は上杉謙信に助けを求めたけど。町ももっと村上義清をプッシュしていけばいいのに。因みに、大河ドラマは見てません)
補足すると、村上氏が居たから村上という地名になったのではなくて、村上という地から由来して村上の姓を名乗ったそうです。その辺の経緯はWikipedia先生によると以下の通り。

越前に配流になっていた源顕清の子、崇徳院判官代源為国とその子、源信国、源基国が保元元年(1156年)の保元の乱で崇徳上皇に味方し参加。敗戦し囚われたが、妻が後白河天皇の側近藤原通憲の娘であることを理由に赦免された。(一説に基国は後白河天皇方で、父の助命を求めたともいう。) 為国は叔父の源盛清を頼り信濃国更級郡村上郷へ移住し、叔父の養子となり村上郷を相続し、村上氏を称するようになる。

さらにいろいろな経緯を経て、信濃村上氏からの支流として村上水軍があったと言われています。(本当は不明な点が多いのだそうですが)。村上水軍とは中世から隆盛した瀬戸内海を中心とした一大勢力です。
さて、時間軸が混乱してきたのですが
先に渡辺党が瀬戸内海周辺の水軍であったことは言及していますが、村上水軍はその後の時代になります。渡辺の水軍は平安時代に、村上の水軍は鎌倉時代前後(平安時代末期?)に誕生します。
ここからは推測ですが、おそらく村上水軍が興るころには渡辺たちは全国各地に散らばり、おそらくは航海などに関する職を司っていたと思われます。戦国時代ともなると、そこらで渡辺という名の武将はちらほら見かけますし、村上水軍の下に渡辺が仕えていたという話もあります。
しかし残念ながら、村上水軍から信州の村上氏に流れた話や、村上氏に渡辺という家臣がいた話や記述は見つかりませんでした。
もともと二つの姓が源氏を源流としている点や、水軍で結ばれる点や、村上という地で渡辺という姓である点から、少し因縁めいたものを勝手に感じてしまいます。どれほど「渡辺」と「村上」が関係性が深いかなんて評価することなんてできないんですが、とりあえず自分の祖先は海賊だったんだなということでガッテンしておきました。
さて、余談ですが、我が町が誇る武将・村上義清なのですが、大須賀という武将に裏切られ武田方に敗れてしまいます。これは本当の話かどうか不明ですが、つい最近(といっても昭和初期の話ですが)まで、縁もゆかりもなかった大須賀さんという家が村上の地に引っ越してきた時に、村八分にされたそうです。現在はそんなことはないと思うのですが、因縁とは恐ろしいものだと思いました。

「「渡辺」と「村上」の由来」への2件のフィードバック

  1. 不思議と武田方には恨みは感じられないのよねぇ。(たぶん負けたから)

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