経済について

時事問題にも関わるかもしれないし、関わらないかもしれない。
昨今のいろいろ株やら証券やらの問題に関して
司馬遼太郎の「この国のかたち」の中の一節を思い出した。
以下、明治の平等主義についての考察の一部である。


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農民は、米でなく現金で税金(ねんぐ)をはらわなければならなくなった。
現金で納税するのは不可能にちかい。江戸期は幕府も藩も原則として自作農設定主義だったから、小作農は少なかった。それに自作農たちは自給自足のくらしをもって原則としてきたから、現金など持っていなかったのがふつうだった。このため現金の入る家業の者(造り酒屋など)にたのみこみ、ときに酒一升をつけて自分の田の所有権をわたし、税金を肩代わりしてもらう約束で小作人にしてもらったのである。
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妙な話である。
システムが一変することで(キャピタルのプライオリティが米から金に移行した)、
体力のない者たちが不利になさざるを得なくなる。(実体では金よりも米の方が重要なのに)
現在、不気味に危惧され始めている「格差社会」について
同じようなことがなんとなく言えそうな気がしている。
現在の日本の経済のほとんどが(実体のない)金融経済に依存していると言われている。
博打だからとかいって株式や証券のことがさっぱり分からず、やる気もないのだが
そうも言ってもいられないのかもしれない。
否定するなら、そもそもこの経済の構造自体をどうにか改良していく必要があると思う。
そんなことは簡単にできないことは容易に想像できるけれども
世間の風潮は、どうにも市場のルールの不備の指摘や食わず嫌いな議論で終始してしまっている気がしてならない。