狂うこと

父の訃報を聞いた時は、多分人生最大のショックだったし、誰かが意図してやったことなのなら、
「なんてタイミングでやってくれたよ」と、くどくど責めたくもなった。
悲壮感はもちろんあるけど、泣き止んだときには、
自分の中の思考や脳の中の情報がぼろぼろと崩れていくのがよく分かった。


実家に帰って1日目の夜がそれが顕著で、「考える」ということが全くうまくいかなかった。
普段、考え事をしていて横道にそれたり、連想したりするけれども、だいたいそれは納得いくものだし
なによりそこには自分の理性や意志があった。
けれどもその夜はさっぱり違っていた。
ボーとする瞬間もあれば、いちなり頭の中にいろんな情報が浮かんできて、
しかもしれが、まったく意味の無い組み合わせや連想や、
もっと酷くなるとその情報が分解されて、得体の知れない様子に変質したりする。
テキストで見れば英語や日本語や、他にも訳の分からないビジュアルが混じったり
もしこの時、会話をしようものならきっと上手く喋れなかったと思う。
その挙動が自分の動作に影響するならば、その振る舞いは全く社会的な意味の無いもになっていたと思う。
「あぁ、これが狂うってことなんだな」
妙なことに情報の不思議な変遷を観察している自分がいた。
ここで言う「狂う」は精神が正常ではないという意味だ。
観察できる自分がいるだけで、もうそれは狂うということではないかもしれないが、
頭の中で起きている、情報と情報の戯れには、私の理性や意志の介入は一切なく
観察している自分の側には意識がはっきりしていた。
いくら精神が異常だといえども、意志はある。
そして人間の自発的な振る舞いには意志が介在している。
昨今、猟奇的な殺人がおこる度に犯人の精神状態がどうであったか取りざたされる。
精神医学にはさっぱり明るくないが、精神が正常でなかったとしても、その行動には犯人の
意志が介在しているようにしか思えない。
偶発的なものもあるだろうから、全てとは言い切れないが、
例えば「殺せという声が聞こえた」とかいう類は、それも全て本人の意志だと思う。
理性が働かなかったという方が正しいかもしれない。
誰だって、パニックになれば理性の制御を突破してしまうし、
不道徳な欲求はみなそれぞれ結構持ってるもので(少なくとも私はそう)
精神の異常(理性がはたらかなかったということ)で
司法責任を免責されるのは、どうも解せない。
じゃ、なんだ、「犯行時は野生に戻ってたので覚えてません」で無罪放免になるのか?
あるわけない、そんなの。
百歩譲って、精神異常者は罪を問うても罪の意識を感じないから無意味、という理論にしたって
死刑宣告受けても自暴自棄になって、罪の意識も謝罪の言葉も無い犯人だっている。
そういう判例も多い気がする。じゃぁ、彼らも無罪になるじゃないかと。
だんだんと責任についての思索になってきたので戻すとして。。。
「狂う」にしても、生理的に「狂う」と社会的に「狂う」があると思う。
僕が体験したのは前者の方に近いと思う。極端な話、病気も身体が「狂う」ことだ。
後者が先に憤ったことだ。そもそも思考回路がおかしくて殺人事件を起こしたとしても
いくら精神が異常だと鑑定されたにしても、起こした行動は社会的に大きな意味を持っていることで
前者の影響で、偶発的にその大きな意味を持ってしまうこともあるかもしれないけれど、
むしろ偶発的な要因だったにせよ、その社会的責任は取るべきなのではないかなと思った。
あぁ、だめだ。。。うまく整理できてないのでこの辺で切り上げます。