随分前に研究室の先生が面白い仮説を紹介してくれました。
なぜ、電車の中では携帯電話で喋ってる人を迷惑に思うのか。
周りにうるさいヤツもいるのに、小声で申し訳なさそうに電話をしている方が気になってしまうのか。
おそらく、それは会話の全容がわからないからだろう。というものでした。
喋っているのは一人だけで、相手とのやりとりがまったくわからない。
電車でおしゃべりしている人たちの会話はなんとなく聞こえてしまいます。
関心のあることだったり、興味のないことだったり。
いろいろありますが、いつしかそれは雑音として認識しています。
その過程で、人々の会話を無意識に理解していると思われます。
理解しているから、違和感無く無視することができる。
ただ、会話の片方しか分からないと、どうにも不快になります。
これは、別に電車の中の携帯電話に限ったことではありません。
例えば、TVをつけた時に、バライティ番組がやっていてちょうど爆笑の場面だったとします。
これはかなり気持ち悪いです。
「なぜ面白いのか」が、まったく分からないのです。
そのシーンは我慢してTVを見続けたとしましょう。
そして、司会者はちょうど少し前のネタをひっぱりだしてきて笑いを起こすことがあります。
これはもう最悪です。
TVでなくても、複数の友人が集まればこういうことがしばしばあります。
自分の知らない、彼ら共通のエピソードを引用して会話を組み立てられては
自分は愛想笑いしているしかありません。
そして、いちいち説明を受けなければならない。
また、そのエピソードの引用が笑えるようになるには、しばし時間がかかる。
詳細はどうであれ、我々はある程度の全体の構造を理解しないとどうやら満足しないようです。
電車の中で、携帯電話で喋ってる人が爆笑されたときには、気になってしまい、
場合によってはかなり不快になります。
いわば「秘密の共有」をそれぞれ求めているわけですが、
この言葉が実に如実で、秘密でなくなった途端に、共有する気がなくなります。
自分の把握できる範囲内でプライベートな情報を持ち合いたい。
女の子が「○○ちゃんと私だけの秘密ね」なんて言う傾向に近いです。
別の例えだと、インディーズの頃から注目していたアーティストが誰もが知るヒットを出したときに
少し熱が下がるのも、自分が持っていた情報のプライベート度が薄れたからかもしれません。
さて、電車の中で携帯電話を使うとき、周囲に迷惑をかけない方法があるとすれば
スピーカーモードで話すとか、下手なテレビドラマみたく、相手の言うことを反復して言うと
周りの人もある程度のストーリーが読めるので、それほど不快ではなくなるかもしれません。