ユビキタスってなんぞや(メモ書き)

■ユビキタスの語源
ubiquitous
1.(同時に)至る所にある。遍在する。
2.(人が)至る所に姿を現す。
ubique(ラテン語)が語源
「至る所に偏在する」「時空自在」という意味。
もっと言えば、「神は何処にでも遍在する」という宗教用語・神学用語
神とは言っても一神教なので、「至る所に」という言葉は
どこへいっても神(ヤハウェイだかキリストだか)が居るという解釈なわけだ。
でも、日本でいう至る所に存在するという言葉は
アミニズム(八百万の神だとか)の解釈に近いと思う。
そこで若干、違和感を感じるわけだが。
■さて、もう少し実質的なことを考えてみる
マクルーハン的、メディア論によると、メディアは感覚の拡張であり
メディアを介して人と人とのコミュニケーションが成立する。
今までのインターフェースだとかコミュニケーションの研究は人ありきの話だと思う。
これからもそれは変わらないと思うけれども。
ユビキタスはどうやらメディアとメディア(特に機械と機械)のコミュニケーションの事なのかと思う。
すべてがリンクするという表現ではなんか釈然としない。
繋がるというよりは、コミュニケーションがとれる。という方が納得できる。
その点では東大の坂村教授も「インターネットですべてが繋がる」と誤解しては困ると言及している。
ORF2003の坂村教授と村井教授の対談でも、人対人から機械対機械のコミュニケーションになるだろうと考察されていた。
機械同士がコミュニケーションして、人を取り囲むように機械たちは勝手に環境を変えてゆく。
それがユビキタスなのかな。
帰宅して玄関を開けたら勝手に蛍光灯が点いて、エアコンが温度調節して、お風呂の湯が沸いて。
状態変化に応じて環境が変化する。わくわくするけど、若干、この未来像に飽きてるのも事実。
あ、蛍光灯が切れたら人間が付け替えなきゃいけないのか。
その不便さに少し安心する。
■便利とはなんだろうか
それは手間を省くことであり、コストがかからなかったり。
でも、それはいつか慣れてしまうもので、また別の不便さを見出すことになる。
加えるならば、オペレーションが日々楽になる一方でブラックボックスが大きくなるという問題もある。
それはさておき、便利=効率の良いもの と考えてみると少し違和感がある。
どちらかというと、便利=不快でないこと だと思う。そんな気がするんだ。

「ユビキタスってなんぞや(メモ書き)」への2件のフィードバック

  1. ついこないだマクルーハンの「メディア論」を
    よんだら書いてあったことだけど、
    メディアは感覚の拡張って聞くと、
    その逆の感覚麻痺とセットになってるんだよね。
    大地を”感じる”には裸足のほうがいいけど、
    靴を履くことによって感覚を遮断して遠くまで歩けるようになる。みたいな。
    http://www.f.waseda.jp/nakamura/forum/inss/node90.html

  2. あれですよね。
    飛行機の操縦の自動化が進んで
    操縦士の技術レベルが年々下がってるのと同じ。
    ナウシカみたいに
    「風を捕まえる」って感じは衰えているんだろうなぁ。
    ちょっと違うかな。

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