平和な宇宙

ちょっと語弊があるかもしれないタイトルですが。
冥王星が太陽系から外れるそうでちょっと残念が気がしました。
数日前は惑星が増えるって話で、新しい惑星の日本語名を考えようとか言ってたのに。
別にそこまで宇宙マニアじゃないですが
冥王星の英語名がプルートで、ディズニーのプルートは冥王星が発見された年に名付けられたそうで。
そのエピソードを聞いただけで、冥王星に妙な愛着が湧いてしまった。
こんな話題があるあたり、良い意味でも悪い意味でも平和だなぁと思うわけです。
星たちは太陽系や銀河系なんて関係なく、延々と回転し続けているのですから。

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9月のネタ帳から


ウォルト・ディズニーは偉大だと思います。
■でかいモノが動く
やっぱり、なんだかんだ言って迫力あるのかもしれない。
愛知万博で巨大万華鏡やってるって聞いて、「微妙~」って思ったけど
実際に見たら迫力が違うんだろうな。生で感じる人間の小ささとか。
■主義主張を押し付けない新聞
毎日新聞のある広告。
他の新聞社を意識してるのは分かりますが
かえって、主義も主張もない新聞って新聞としての価値がないような気がします。
(決して主義主張が無いと言っているわけじゃありませんが)
■モノとネットワーク
ある時、傘に電話番号のラベルを貼っていたおばあちゃんがいたんですよ。
亡くした時とか、電車に忘れた時に連絡してもらえる。なんて画期的。
自分はモノにネットワークの枝とかを付けたがらない人なので
ちょっとびっくりしました。
でも、自分もネタ帳には連絡先を書いてある。
傘にラベルを貼るのはローテクだけど、モノとネットワークの関係性を見るのに面白いアプローチかもしれない。
■刻み方の違う時計
時間軸を考えるときに、周期が重要だと考えたんだけれども
どうもこれだけでは不十分らしく、「2つの周期」がポイントらしい。
2つの周期が重なることで、偶然性とかシンパシーを感じるらしく
言われてみると季節だとか、時間に関することで同期する事柄や情報が連鎖されて出てくる。
そこで、違う刻み方の時計が2つあったとして(1秒毎に時を刻むのではなく)
しかし、その2つの周期が重なるポイントがあったとしたら(1時間毎とか1日毎とか)
どのような体感をするのだろうか。
■共通項
アニメーションをよく考えると、変化量の違いが、錯視を引き起こしているんだと最近気づいた。
変わらない部分と変わる部分のバランスで、スピード感が出たり、動きが引き立ったりする。

私の映画論Ⅰ

[葛藤は面白い?]
 そのまんまです。葛藤がなければシナリオなんて成り立たない。葛藤もなく平和な日常など誰も観たいとも思わない。他人の不幸に興味があったり、なにも映画に限ったことではなく、エンターテイメントと呼ばれるコンテンツにはこの要素は必須だろう。映画のコンテンツにはいろいろなパターンがあるけれども、包括的に(強引に)『葛藤』という言葉に集約できる。私はアンチハリウッド・アンチディズニーな人だが、それを含めて売れる映画・面白い映画と呼ばれる代物には絶対と言っていいほど『葛藤』が入っている。観客はそのなんとなく『葛藤』に共感する。人生は選択の連続でさまざまな『葛藤』を経験しているからだ。
[アクションの葛藤]
 いわゆる善と悪とか。一番単純。展開がわかりやすいから安心できるけど、あんまり好きじゃない。あと、こういうのものバックストーリーには主人公の精神的葛藤が多い。少年から青年へ、みたいな展開になる。
[パニックの葛藤]
 そもそもパニックってことで葛藤の原因になるけれども。たいてい制限がつきまとう。「あと何日で・・・」とか、舞台が電車の中だけとか。なぜかハリウッドはそこでラブロマンスを絡ましてくるから、あんまり好きじゃない。
[コメディの葛藤]
 これは明確。登場人物で大人は子供みたく振る舞い、子供は大人みたく振る舞う。あくまで振る舞う。ちょっとズレているわけで観客から「そうぢゃないだろ」ってツッコミが入れば成功。
[SFの葛藤]
 非日常的な世界観に日常的な振る舞いを持ち込む。「宇宙人も居酒屋にいくんだぁ~」みたいな。トーンの制御とも言うけれも、さじ加減が難しいところ。
[戦争の葛藤]
 戦争は2つの衝突から起こるのだから、葛藤そのものと言っていいくらい。ハリウッドは結局、自己犠牲とか兵士同士の友情にとどまらせてしまうので嫌い。そもそも米国万歳な映画なので問題外。そうぢゃないんだってば。敵味方なんて関係なく、双方からの視点を描写することが必要。特に戦争モノは視点が偏りがちになるので、一歩ひいて中間から客観的にみてみろって事です。
 ということで、『葛藤』を意識して映画を観ていると、客観的に理解しやすくなるのではないだろうか。いまいちその『葛藤』に共感できないとすれば、それは経験していない『葛藤』で、それを理解した上で素直に感動してあげることができれば、『葛藤の疑似体験』をしたことになる。『映画から道徳・社会を学べる』と言うアナリストもいたくらいで、たしかに納得。昔はそういう役割は本が担っていたんでしょうけど。今はゲームですかね。
 何かを表現するにも『葛藤』を意識すると、適当でもそれなりのモノが作ることができたりする。昨年の春に作ったCGムービーでも、シナリオは『SFの葛藤』を意識して制作した。それなりに面白かったし、とてつもないキレはないけれど、安定したクオリティを保持できた。
 「だからどうした」って言われるとそれまでなんだが、そんなルールを見つけるのも表現をする上での一つの手かなということ。