映画「すずめの戸締り」

やや惰性の雰囲気もありつつ観てきました。もう一回くらい観たいけど、前の2作よりはエモさは薄れたので、やや熱は引いてしまったかもしれない。

この映画は前提条件が難しくて、東日本大震災を経験しているか、ジブリをそれなりに見ているか、星を追う子どもを観ているか、などで、感想が全然変わるだろうなと思う。

震災文学として

パンフでも語られてたけど、震災から10年以上経ち、東日本大震災を経験した人が徐々に少なくなっている。経験者にとって当時を想起させる描写が幾度となく登場するが、当時の生々しさを伝えるのにはちょうど良いのかもしれない。まだ前2作はオブラートに包まれた比喩的なものだった。生々しすぎると抵抗ある人もいるかもしれない。なので感じ方がここで変わる。これは朝ドラでも見られた現象で、震災直後の「あまちゃん」では直接的な震災の描写は避けられていたが、「おかえりモネ」では生々しさがマシマシの設定・描写だった。

ジブリのオマージュとして

色々な演出の符号として、ジブリの影響が伝わってくる。これもパンフの中で語られているか、魔女宅をあえて?だいぶ?意識したものだったと。そこで思い当たるのが「星を追う子ども」という作品。奇しくも震災直後に発表された新海さんの作品。この作品の特徴的だったのはジブリの好きなところ全部乗せみたいな作品だった。これでの新海さんの純文学的な世界からはかけ離れた作品だったので、期待値のズレを感じる部分もあるが、ジブリ以外のスタジオから当時もっともジブリらしい作品を作り出したのには驚きだった。今回はソレの踏襲だった。前2作と比べると情緒的なモノローグやPVのようなエモーショナルな演出は封印された。こういうジブリ風味の演出もできるというところを見せつけているかのようだ。「新境地だ!」という感想を持った人もいるかもしれないが、自分としては「そっちで来たか」という感じだった。決してネガティブな意味ではない。

とはいえ、新海さんのらしい要素(年上女性と少年/青年の交流)は残っていて、芹澤が良いキャラなので、彼を愛でるだけでも味わい深い作品になるかもしれない。ただ、これまでよりはエモさをくすぐる演出が少ないので刺激不足に思う人もいるかもしれない。故に、自分の中で今ひとつ盛り上がっていない。

映画「天気の子」

率直な感想としては新海さんが戻ってきた!みたいな感覚でした。どのへんまで戻ってきたかというと「ほしのこえ」や「雲のむこう、約束の場所」あたりまで。エッセンスはずっと残しつつ、ずっと試行錯誤していたような感覚で、ようやく元のの場所に戻ってきた。(元の場所のつもりはないんでしょうけど)

あとは何も言うことなしです。セカイ系とかいわれるけれるど(歴史的にはポスト・エヴァ系といった方が解釈しやすいと思いますが)新たな文化の系譜を着実に切り拓いていっているなと思うわけです。きっと新海系とかいずれ言われるわけです。

新海さんらしいアニメーションのエッセンスを時々考えるのですが、というのも背景がリアルだとかよく評されるのですが、そこにはやや違和感があって、別に他のアニメでも同じくらいの描写レベルのものはあると思います。違いはやはり、切り取り方とアニメーション。

切り取り方はシーンの選択もありますが、もう一つは被写体深度。いわゆるボケ感です。アニメでボケ感を出す手法は昔からありましたが、多用はされませんでした。それが、新海さんのアニメではいわゆる短焦点レンズで切り取ったクローズアップの場面を多用します。この辺は岩井俊二の映画の影響が強いと思いますが、それをアニメーションでやったのが新しかったなと。そこから「君の名は」ではホコリのボケを加えたり、実写にあるエッセンスをうまく取り込んでいるなと思いました。

もう一つはロングショットのカメラワーク。今となってはドローンがあるため一昔では考えられなかったカメラワークを実写で実現してますが、アニメーションでそれをやったと(やってたというのが正しいか)。これも昔から手法はあったにせよ、省エネのセルアニメの時代の手法では背景をアニメーションさせることを嫌う傾向にありました。その時代からCGの時代になって、背景も視点もカメラもぐりぐり動くというのが新しかったなと。天気の子ではドローンを意識したカメラワークもあって実験的だなと思いました。

さて、一点だけ違和感があり、その一点によって少し評価が難しくなったところがあります。それは前作のキャラクターの登場。ただそれは人によっては歓迎する人もいるっでしょうし、パロディということでよく使われる手法でもあります。古参やシリーズファンへのファンサービスでもあったりしますし。ただ、今回はかなりガッツリした形っで主人公たちに絡む部分があって、いわば2つの世界が交わってしまった分けです。それが否というよりは、混乱してしまったというのが正しいです。ちらっとちょっとしたところで出てくる分には構わないのですが、ストーリーとしての絡みがあると、かたや前作のストーリーを知っているわけですから、そのストーリーとの整合性をとろうとしてしまうところがあります。前作のストーリーも前提で展開を予想してしまう、といったところ。唯一そこだけでした。(野暮ですが、前作のキャラクターたちも、本作のエンディング後の世界に同時に生きているのだなと思うと、なんとももんやりした気分になる)

あとやや余談でっすが、エンドロールでは京アニの事件のことをふと考えてしまうことがあり胸が締め付けられました。そんなこともあってやや涙。