私の中の女性

※柄にもなく本なんて読んでしまって、文章を書きたくてたまらなくなり、ネタ帳よりも書き出さないと余計に欲求不満になりそうなので、最近はreviewが多くなると思います。こんな人の悩みなんて読んだって面白くないでせうが(汗
昔、私の書く小説というかストーリーは女性向きだと言われた事があります。少女漫画とか好んで読んでいたからそういう影響もあるかもしれません。それ以前に異性である女性の方が妄想するのに生々しくなくて主人公にしやすい傾向があります。しかしながら、私の中の女性的な部分が少なからず影響しているような気がします。
異性の方が生々しくないという傾向は、思春期の女の子がやおい系の代物を嗜好するのと同様なのですが、私の中の女性的な部分が私なりには生々しく感じる時があります。別に妊娠する事もできないし乳房が大きいわけでもないのですが、私の頭の中の女性はとても柔らかくて生理もあって、挙げ句の果てには男に抱かれています。
ストーリーを書く時に私は主人公や登場人物にかなりのめり込んでしまいます。その人物の心情を何度もシミュレーションするのですが、衒学的にせよその繰り返しのせいで私の中の女性が育ったような気がします。それが一般的な女性なのかもしれないし、私の中のimagoなのかもしれません。

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インテンシブ第一回公演「最終試験」

たいそうな公演ってわけではないんですけど。
しかも最初で最後の公演でしたし。
いわゆるお笑いのイベントだったんですけど、
深い部分からデザインとかをやらせていただきました。
こんなにイベント事に携わったのは中学校以来だと思います。
んで、写真がフライヤーなんですけど、とてもお笑いとは思えなのですが。
そんなにトーンは外していないから満足はいっています。
「容花」という小説を書いてから、計算してモノを作れるようになったと気がします。
恣意的といってしまえばそれまでなんですけど。
ディテールを何度も調整したり、スタディを繰り返したり、
デザインする上では当たり前の事なんですけど
それが少しずつできるようになって
逆に言えば自分の限界とか見えてきた感じでした。

私とストーリー

 私はよほど本が嫌いらしい。人の文章はまず読まないし、よほど構えないと読まないし、読んでも一回では理解できない。そのくせ、文章を書くことは好きで、しかしながら、書いても口述式が多い。まどろっこしい文章は苦手で、書いても誰かの真似である。だから語彙力がない。
 それでも小学生くらいまでは何かしら読んでいたようだ。嫌いになったのは周りに本を読む人がたくさんいたからだと思う。母親や兄は恐ろしいほど本を読む。負けず嫌いな上に臆病な私の事だから、そのフィールドから逃げ出したようなものだ。加えて、自分の頭の中にストーリーが巡り始めたこともあると思う。教科書に載っている童話の続きを書いたり、そんな事から始まった。
 私の書く話は恋愛モノが多いように見えるけれども、実はそうでもない。最初は童話を書いていたし、次は映画を意識したsfっぽいもの。恋愛モノは高校になってからだ。しかしながら、私にとって重要なのはストーリーそのものであって、表現方法はそれぞれバラバラである。最初は文章を書くことしかできなかったけれども、画を描き、映像を撮れるようになってきた。小説とか脚本とか特に区別はしていない。ただ、文章力がないので(言葉を使った表現能力がないので)、私の書くストーリーはいつも脚本っぽい。
 発見したストーリーは映像で最初から最後までものすごいスピードで完結してしまう。一つ一つ思い出しながら文章にしていっても、なかなか完璧に再現できない。次に思い出したときには別の展開になってたりして、どうにも、ずくがないと表現することは難しいようである。でも、そのストーリーは確実にそこにあって、もどかしくたまらなく、フラストレーションの一つの原因となっている。
※今、一つのストーリーを書きたくなっている。この話は小学校の時に思いついたもので、何年もねかせては掘り起こして構想を練っている。今度もまた未完成でお蔵入りになってしまうかもしれない。