時間軸の哲学「編集」

記憶と記録について、違いは述べましたが、どちらにも共通したことがあります。
それは、どちらも「記す」過程に「編集」が介在していることです。
情報がメディアにおさまる時に編集されます。
メディアに記録された情報が、ずべて(事実)という状態を示しているわけではありません。
目やカメラは光情報しか「しるす」ことができません。
同様に考えれば、私たちの五感はセンサーであり、脳は記録メディアとなります。
それらの情報を全てかき集めたとしても、現実に起こった事実を
記憶・記録することは難しいといえます。
それは、自分の意志のもとに編集がされるからです。

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卒展+BankArt Studio NYK

卒展に作品を出そうか少し考えていたけれども、設置とかすごく面倒なので断念しました。
その卒展へ。
http://g-exhibition.sfc.keio.ac.jp/
いいなぁと思う作品もあれば、そうでないものも。しょうがないですけど。
ORFの時もそう思ったけど、本当にこのキャンパスはいろんなことをやっている人がいます。
もっといろんな人と交流をもてればよかったなぁと。卒業するのがなんか寂しくなる。
大学院で戻ってこようかな。そんなことを少し考えました。
一番、気に入ったのは本郷毅史さんの「喜望峰から自転車で帰る」です。
http://hanamote.com/
そのまんまなんですけど、やってる事自体がすごいことだし、写真もよかったし、熱いしかっこいいことだし。
いくら頑張って考えて制作しても、いくらスマートでかっこいいものでも、いくら隙のない論理を構築しても
若さというパワーには、とうていかなわないのだなぁと思いました。前にも言ったけど、爆発してる。
赤レンガを後にして、BankArt Studio NYKへレッツゴ。
「食と現代美術」 http://www.bankart1929.com/
「Evolution Cafe」 http://coolstates.com/evolution/
いろいろやってました。
有名な作家さんの作品もありましたし。(クワクボさんとか鈴木太郎さんとか)
知り合いの関わる作品もありましたし。(imgl関係)
非常に面白い作品もありました。(原稿用紙が散らかってるのと、服に写真とコメントを載せてたヤツ。うまく説明できないんだけど。好きです。あと、写真撮ると、撮る側と撮られる側の写真が撮られるものとか。あのカメラの作りこみはすごかったです。単純に座って光るものとか。そういう方が分かりやすいです)
こういうのを見ると、アートとは何ぞやとか考えるのですが、きっと「大いなる無駄」なんだと今日は思いました。だってぜんぜん役に立たない。
美術っていいなぁ。遠い世界。目の前にあるけど。
今日は有意義だったんですけど、左足が慢性的につってた感じがしました。
まいったなぁ。

学祭が終わりました

最近にしては上手く酔えた気がします。あんまり気持ち悪くならなかったし。
学生最後の学祭が終わっちゃって、あぁ、終わっちゃったって感じで。
小中は文化祭とか実行側に居て、なんか疲れちゃって
高校でほどほどに参加して、まぁまぁ楽しんで
大学は実行側ではなかったけど、裏方とかFMとかやって充実してて
4年間あっという間やったなぁと。
と感傷に浸ってます。参加する事はないと思うと正直さみしい。
そして不思議な事があって、ほとんど写真を撮らなかったんですよ。カメラはあるのに。
今年くらいからあまり写真を撮らなくなったんですけど
それらしい理由はファインダーを通して見るより、肉眼に直接焼き付けた方が刺激的なんですよ。
花火とか見たときもそうなんですけど、網膜に溜まる情報量が心地良いというか。
でも、写真を撮りたいなぁって時もあるんですけど。
その辺の基準を明確にしてみたいです。

9月のネタ帳から

※はっきり言ってさぼりました。その変わりreviewという名の妙な告白が多くなりました。
■噂話とか世間話
小さい頃から親や近所の噂話とか世間話とか耳にします。お隣の家がどうだとか、向かいの家がどうだとか。そういうものから知らず知らずのうちにいわゆる世間体に対する意識というか、道徳的な物が形成されると思う。
■先輩と後輩
「先輩」と呼んでも違和感ないけど、「後輩」と呼ぶのはなんか違和感。
「やぁ、後輩。どうした」ってねぇ。
■散りばめる事
自分の作品をカテゴリ分けしてて思ったんですけど。
整理してもあんまり意味ないような気がして。
整理するよりもおもちゃ箱をひっくりかえした様な散らかした感じが
表現できないかなぁと思ったんですけど。別に具体化されず。
とりあえず、カテゴリ分けとは別に、今一番見て欲しい作品をトピックスとしてあげるという方法でHPは一段落しました。結局、コチラは弱者ですから。
■WEB業界は今過渡期?
現場にいてて思うのは、XHTMLに対応しようとてんやわんやな状態です。いや、別に混乱してる訳ではないのですけど。XMLベースになることで表現の自由度が向上するので、今までの様なテクニカルな面からのデザインへの縛りはなくなっていくわけです。例えばMathPlayerとか、数式をWEBで表現できるようになったのは個人的にちょっと嬉しい。ただWEBを作る側としては、今までのように表現方法が限られた中でやりくりするというよりは、コンテンツに応じてどのツールを使うか選ぶ事が多くなってくると思います。
□風の話
今期から研究会で風をどうにかこうにかしようと思っているんだけれども、それへ向けての考察。3DAnimationはぼちぼちと精度をあげたいなぁと思いつつ、結局手つかずになりそう。
■3つのセクション
録風(どのようなセンシングか。どのように記録するか)
通信(どのような通信手段をとるか。無線(赤外線とか)。インターネット)
再風(どのようにアウトプットするか。シミュレーションかアニメーションか)
それぞれに対して研究が必要で、この骨格は変わらない。空間軸と時間軸のパラメータをいじる事で形態は変わります。ただし一番重要なのは再風(どのようにアウトプットするか)です。
これによってただ新しいものか、新しくて面白いものかに分かれます。それを研究する上で、録風と通信の精度を上げる必要があります。それらが先の研究をする上で基盤になります。まずは動かなければ。デジタルデータにさえしてしまえば、様々なものに応用できます。風をそのまま再現してもよいし、ビジュアライズしても良いです。
今考えてるのは風に反応するスクリーンセーバーとか。たぶん、自分の中でゆるせるギリギリの範囲だと思うのですけれど。雲がただ漂っているスクリーンセーバーかと思いきや軽井沢の風に反応してるとか。アクセサリのような。健気さというか。あぁ、微妙だ。ギリギリだ。
■空間軸と時間軸
空間近い・時間同じ:外の風を取得して再現する。
空間遠い・時間同じ:リアルタイムに遠地の風を再現する。風のデータを取得する。
空間近い・時間違う:メモリーカードなど内部メモリに風データを保存する。
空間遠い・時間違う:サーバなどに風データを蓄積する。
■風のビジュアライズ
風が吹いてただLEDが光れば良いというものではないのです。風のデータを使用していると説明する前に表現として圧倒するようなものでなければならないと思います。
例えばビルの壁面や並木に風(あるいは振動)に反応して光る(例えば青っぽい光)装置をつけると、想像では風が吹く度に街がうねる波の様に光るはずです。
さてWEBカメラのように世界中に風力計を設置するにはどうしたらいいのか。
問題は山積み。

5月のネタ帳から

怠惰です。
■固定撮影法の可能性
映像の初心者は「カメラを釘で壁に打ちつけてでもやれ」と言われる。
サカナはその通りに全部固定でやったけれども、
だいたいがコンテュニティスタイルに集約されてくる。
あえて、そのスタイルの余事象に新しい撮影法は無いかと思うわけである。
■ルールを学ぶ事
普通、芸術家とかは弟子入りとか
独学で表現方法に対して自分なりのルールを構築していく。
それをデザイン言語という形で表現方法を取得しようというのが後藤さんの考え。
ハリウッドもそうだ。脚本術とか、コンテュニティスタイルとか。
ただ、自分なりのルールを構築をする前に論理を詰め込むと、強迫観念にみまわれる。
「~しなければならない」と萎縮してしまう。
しかしながらルールを学ぶ事で余事象や全体像が見えてくる。
それは決して新しいアイデアとは言えないかもしれない。
(過去に発見され淘汰されたかもしれないから)
■被写体深度の実験
本来ならぼける映像が、全部に被写体深度が深く、全部に焦点が合ったとしたら不思議な映像になるのでは?ということ。(その逆もあり。きっとミニチュアを見ている感覚になる)
■新しいWEBの概念はないだろうか?
階層型→分散階層型→RDB型
さて次はなんでしょう?
私が考えたのはブックマーク的感覚。
■チャット
メッセンジャーとかは言う言葉を決定して相手に送信するけれども
タイプしてる文字から相手に送信されたら本当のチャット(お喋り)に近づくのでは。