こわれた~

愛校心まるだしの携帯ストラップが壊れた。
たかだか3ヶ月くらい。いろいろあったからね。
しかし、壊れるのは早すぎ・・・

誕生日の不思議

どうにもこうにも誕生日に疎い。
家族の誕生日ですらあやしい。他人はなおさらである。
自分の誕生日はおそらく一生休日であって
いわゆる友人から祝われた事がない。
だいたい休み明けに「あ、誕生日だったの。おめでとう」
まぁ、それでもうれしんだけどさ。
誕生日に限らず、他人から祝福されるのは嬉しい。
でも、そういう事を抜きにして考えてみると
実は自分ではあまり誕生日が特別なモノに思えない。
それほど大切な日なのだろうか?
毎年、諭吉の誕生日にウチの学校は休みになるけれども
それはなぜか良いと思う。
命日より誕生日の方が絶対良いと思うのだ。
命日なんて忘れて良いと思う。

やらなきゃならんこと

・不確実性と情報(中間テスト)
・インターフェース設計論(レポート)
・研究会のプレゼン
・研究会のワークショップの準備
・ドイツ語(中間テスト)
・オブジェクトプログラミング(課題)
昔はなんてことなかったのになぁ

あっ

14時間くらい寝てる・・・
よく寝たなぁ
>先端研の公開研究会
ほぼ一人の人を目当てに上京。
まわりはすごく理系の最先端のことを研究しているのに
岩井俊雄さんだけメディアアートだった。
でも、いままで体感できなかったことができたので
学校をさぼった甲斐があった。
一番よかったのはサウンド・レンズ。
光にセンサーを近づけると音がなる。
最初にヘッドフォンをつけたときにヴオーンと音がしてて
それだけでも気持ちよかった。
そのあとはその周辺を散歩して
ずうずうしくも東大駒場キャンパスを探索して
学校へ直行。
>CRC-FTP
とやらを実行。つかれた。人見知り全開。
>吉四六
数分しか参加できなかった。もととれたのかなぁ・・・
まぁいいけど
>映画のミート
なんとなく参加。かなり傍観。がんばってねぇ
充実した昨日だったけれども
まぁ、よく寝たわな

私とストーリー

 私はよほど本が嫌いらしい。人の文章はまず読まないし、よほど構えないと読まないし、読んでも一回では理解できない。そのくせ、文章を書くことは好きで、しかしながら、書いても口述式が多い。まどろっこしい文章は苦手で、書いても誰かの真似である。だから語彙力がない。
 それでも小学生くらいまでは何かしら読んでいたようだ。嫌いになったのは周りに本を読む人がたくさんいたからだと思う。母親や兄は恐ろしいほど本を読む。負けず嫌いな上に臆病な私の事だから、そのフィールドから逃げ出したようなものだ。加えて、自分の頭の中にストーリーが巡り始めたこともあると思う。教科書に載っている童話の続きを書いたり、そんな事から始まった。
 私の書く話は恋愛モノが多いように見えるけれども、実はそうでもない。最初は童話を書いていたし、次は映画を意識したsfっぽいもの。恋愛モノは高校になってからだ。しかしながら、私にとって重要なのはストーリーそのものであって、表現方法はそれぞれバラバラである。最初は文章を書くことしかできなかったけれども、画を描き、映像を撮れるようになってきた。小説とか脚本とか特に区別はしていない。ただ、文章力がないので(言葉を使った表現能力がないので)、私の書くストーリーはいつも脚本っぽい。
 発見したストーリーは映像で最初から最後までものすごいスピードで完結してしまう。一つ一つ思い出しながら文章にしていっても、なかなか完璧に再現できない。次に思い出したときには別の展開になってたりして、どうにも、ずくがないと表現することは難しいようである。でも、そのストーリーは確実にそこにあって、もどかしくたまらなく、フラストレーションの一つの原因となっている。
※今、一つのストーリーを書きたくなっている。この話は小学校の時に思いついたもので、何年もねかせては掘り起こして構想を練っている。今度もまた未完成でお蔵入りになってしまうかもしれない。