A君

 彼が事件を起こしてからもう5年が経つ。おそらくほとんどの人が彼の事を忘れていることだろう。私もつい最近まで忘れていた。たまたま本屋であの事件に関する本を見つけた。当時のことを思い出すと同時に、率直に『今、彼はどうしているのだろう』と思った。彼は私と同い年で、もうハタチになったはず。ある週刊誌によると社会復帰の準備が着々と進められていたが、未だに、社会復帰はなされていない。
 私が此処で言いたいことは、少年法がどうのこうのだとか、社会復帰が早過ぎるだとか、
社会学的な分析をする気もなくて、現代の若者の特異な性質だとか、精神的分析もする気もない。ただ私はこの事件に関してはなかなか客観性を持てないでいる。どういう事かというと、少なからずとも、当時、私はあの事件に共感し妙な快感さえ覚えたという事実が問題なのだ。快感とは言い過ぎかもしれないが、とにかく脳が麻痺して覚醒状態に陥っていた。とにかく事件に関しても自分の中で起こっていることでもショックが大きかった。
 今、もし、A君と話すことが出来たなら、事件の時の心境を詳細に聞いてみたい。でも、そんな事は絶対にあってはならないことだし、むしろ自分としてはあの事件を早く風化させてしまいたい。ただでさえ彼は一生あの事件の記憶と共に生きていかなければならない。
むしろ、踏みにじらなければ、私は内省できずにA君をまるで英雄か贖罪したキリストのように崇めることになってしまうだろう。

ポスト織田裕二

 勝手にこんな考察をしてみたいと思います。いいのかなこんな事して・・・
 さて、俳優:織田裕二さんの後継者を探すわけですが、
先ず始めに織田裕二さんはどんな俳優か、考えてみます。一言で言えば、「暑苦しい爽やかさ」
とでも言いませうか、私が思うにそういう俳優さんです。
はじめて彼を知ったのは「東京ラブストーリー」。このドラマで彼のキャラが確定したと
勝手に思っています。
他には「お金がない」とか「踊る大捜査線」とか「ホワイトアウト」とか。
一つ言えることはどのドラマも映画も織田裕二だと言うことです。
いわゆる高倉健さん的な俳優です。刑事役だろうがサラリーマン役だろうが、アクションをしようが、
暑苦しくて爽やかな織田裕二なのです。
 そんな彼も三十路を越え、役柄にも限界がきています。
そんなワケでポスト織田裕二を探してみたいと思います。
・藤原直人…NHK朝の連ドラ「あすか」の博士役でブレイク?
その後、様々な役をこなしてきたけど、TVドラマ「アンティーク」で不思議な青年の役を演じて
ある意味新境地を開拓した彼。爽やかだけど、暑苦しくないね。
・押尾学…近年、急成長中。ブレイクしたとはまだ言えないかな。
キャラも定まってないのでこれからって感じ。ということで今回はお預け。
・長瀬智也…うーん。どっちかっていうと、ポスト木村拓哉って感じですかな。
独特のぼけキャラは彼独自のキャラを確立しそうですけどね。
・坂口憲二…先クールの「恋ノチカラ」での演技はかなり気に入ってます。
巧いです、彼は。今のクールでもいい感じの演技してますし。
あとは名作に出会うことができればブレイク確実。かな?
 という事で、私の独断と偏見でポスト織田裕二は坂口憲二に決定。
きっと彼なら織田裕二の跡を継ぐことができるはず?です。おそらく、たぶん・・・
あの暑苦しさと爽やかさを併せ持つ人はなかなか居ないですよ。

サッカーにはまった理由(ワケ)

 私は結構、スポーツ観戦が好きな方だと思う。マラソンは最後まで見れる方だし、
高校野球は授業さぼって行ったこともあった。スポーツ漫画とかアニメも結構好きだった。(最近は見てないけど)。
中でもサッカーに関しては特別な興奮がある。
おそらく、自分が頑張らなかった分、
頑張っている人たちのゲームを見ることの方が好きになっていったんだと思う。
 さてさて、サッカーにはまったのはおそらく小学校3年くらいだったと思う。
あの『ドーハの悲劇』からだったと思う。あの人生の無常さというかやるせなさはかなりの衝撃だった。
どのスポーツもそうだけど、結果がすべてなんだよね。いくら練習してても試合で結果を出さなきゃ
意味無くて、そんなきまぐれな運命の悪戯を強烈に印象づけられた気がして、
それから私はサッカーの虜になってしまった。
 自分でもサッカーをやりたかったけれども、飽きやすい性格なもので、あまり積極的ではなかった。
でも、観戦する事は全然飽きなかったし、フランスW杯予選の時は高校受験勉強そっちのけで見ていた。
 と、あついファンのフリをしているが、そんなに熱狂的ではない方だとも思う。
絶対見なくちゃ気が済まない方でもないし、サッカーを最優先することもないし。
それにまだプロのサッカーの試合を生で見たことが無い。
せっかく横浜の近くに住んでるんだから見に行ってみたいものだ。

『メディア』が伝えるべき事

※メディアと言えば私の専門?本来なら『情報の媒体』って意味だけど、ここでは新聞およびマスコミなどを指すことにします。
 なんか最近、メディア規制法がなんだかんだとか、いろいろ五月蠅いですけど。
まぁ、どう見ても今回の法案は憲法違反ですけど、メディアの方も反省すべき点はやまほどあるのではと思う。
 最近のメディアの印象はどうでもいい情報ばかり。
どうしてそう思うかというと、メディアが知りたい情報しか流していないからだと思う。伝えたい情報しか伝えない。
そんな事を繰り返していれば、「好奇心の行き過ぎだ」と注意されてもおかしくない。そもそも、そんな注意をされる方がおかしい。
 報道とは何か?それは伝えるべき事を伝えなければならない。私はそう思う。
ほとんどのメディアはこれを基本にしていると思う。
それには苦痛も伴うことも知っていると思う。だから今回の法案に反対しているのだけれど、今ひとつ勢いがない。
それは「表現の自由」あるいは「知る権利」と「プライバシーの権利」を対立して見ている連中がいることだ。
「個人情報保護法案」は必要だと思うけれど、それからメディアの規制に話が飛躍してしまうのはその事が原因だと思う。
 国会議員のスキャンダルなんでどうでもいい。脱税で逮捕されたやつが拘置所から出てくるところなんて見たくもない。
個人的な好奇心を「報道だ」と勘違いしてしまっているから、こんなおかしな法案がまかり通ってしまおうとしているのだ。
おまけに視聴者はこの問題にはあんまり危機感がない。
そりゃそうだ、本当の意味での「報道」というものをメディアは「報道」できなかったんだから。

『創造は発見である』

 何か表題がエラそうですね。でもコレは私が常々思っていることです。ちょっと数学チックな説明します。
 例えば音楽について。西洋音楽の場合、12音×8オクターヴと2の累乗分割のテンポですべての音を定義します。
作曲する時、永遠に続く曲は現実的に不可能なので適当な時間枠が生じます。すると無数の音の組み合わせが数えることができます。
けれども無限ではありません。限界があるのです。
その全事象を1とすると、実際に良い曲と聞こえる音の組み合わせは1のうちの何割かにすぎません。
そしてさらにその何割かはスコアとして我々は目にしているでせう。残りの何割かを作曲家たちは『発見』しようとするわけです。
 これはシナリオなどにも言えることで、シェークスピアでほとんどのパターンは出尽くしたと言われています。
奇抜なパターンを見つけたとしても、それは先人がすでに発見したものの淘汰されたものかもしれません。
 極端な言い方をしてしまえば、我々がゼロから創り上げたモノと思っているモノはすでに何処かに存在していて、たまたま我々が
『発見』したのではないかと思うのです。だから私は新しいストーリーやアイデアが浮かんだときは『あっ、見つけた』と叫びます。
たとえバッハが小フーガを作曲しなくとも、いずれ誰かが同じモノを作曲したのでは無いかと思うのです。
 万有引力や微分積分法を発見したニュートンの遺言にはこんな行がありました。
「私の発見したものは海岸で拾った小さな貝殻にすぎない。
しかし前を見れば広大な海があるではないか」(確かこんな感じでした)