お盆の過ごし方

実家はいわゆる本家のようなもので、夏やお盆になるとサマーウォーズほどたいそうなものではなかったけれども親戚が一同に介すのが慣例でした。今は代替わりして、自分の立場としては分家になったので、参上する側になった訳だけども、盆暮れがあまり関係のない職種ということもあり、ここ数年は昔ながらのお盆を過ごせていません。おそらくこの先はお盆の風習にも疎遠になることだろうと思うので、どんなお盆を過ごしてきたかをメモっておこうと思います。


お盆はだいたい8月7日頃から意識します。(ちなみに8月7日は旧暦の七夕でその名残がちょっとあります。)
まず、お墓の掃除。そこそこ古いお寺&墓地だったので夏になるとものすごく草が生い茂ります。むしり取った草は軽トラの荷台にいっぱいになるくらいです。除草剤を使うようになるまではよく手伝っていました。
次に野菜を収穫。一応、兼業農家ということもあって畑はありました。不格好な茄子と胡瓜を収穫します。これがあとでそれぞれ牛と馬になります。お次は提灯を用意します。盆提灯というやつで2つで1セットの据え置きタイプです。葬式があるたびに増えていったので5~6個はありました。それを終えると掛け軸を変更します。床の間があったのでいつも何かしらの軸を掛けていました。お盆の時は般若心経の軸を掛けていました。
そして仏壇の掃除と部屋の掃除をしてほぼ準備終了です。あとは迎え盆に準備します。
13日。迎え盆です。仏壇周りのセッティングをします。簡単に言うとお位牌を出して仏壇を締め切ります。お盆はご先祖様が家に帰ってくるということですから、いわば霊界とをつなぐテレビ電話みたいな仏壇は不要になります。ですので戸を閉めておきます。そしてご先祖様が降臨できるようにお位牌の周りをいろいろセッティングします。我が家ではちいさいちゃぶ台の上で、基本セット(線香、ろうそく、香炉などなど)の他に、木ぎれ(割り箸など)を使って牛と馬に見立てた茄子と胡瓜を飾ったり、花(やはり菊が中心)を生けたり、甘いもの(砂糖菓子)や天ぷらなどを盛りつけたり、盛大にご先祖様を迎えるわけです。
そしていよいよご先祖様をお迎えにあがります。時間としては夕暮れ時。まぁ涼しくなってきてからという感じです。お墓まで行くとお寺にお布施をして、お墓に行きます。簡単に掃除と線香を焚くと、手持ちの提灯に火をともします。その提灯で墓石の上をちょんちょんと置きながらご先祖様を提灯に乗り移ってもらうという感じです。そしてのその提灯の火を消さずに家まえ帰り、その火でろうそくを灯し線香をあげるとお迎えは終了です。
母方の方の方式では、お墓で火を焚き、一方で家の前でも火を焚き、煙でもってご先祖様がやってくるといったやり方もあるそうです。どちらかとうとその方が一般的らしいです。ちなみに、火を焚くときに歌を歌うのですが、地方によっていろいろバリエーションがあるようです。
お迎えが済むとそのまま宴会になだれ込みます。親戚一同が介していた時代では数十人が集まっていたと思います。子供だけでも10人くらいたわけですから賑やかだったと思います。そして、その宴会では我が家では年に数回しかないジュースを飲む機会でした。厳しかったのかひもじかったのか分かりませんが、500円玉を握りしめてコーラだかサイダーだかをうきうきしながら買いに行った記憶があります。
宴会が終わると花火をしたりボードゲームをしたり、そうして1日目は終了していきます。
14日と15日は割と暇です。暇ですが、ご先祖様が家にいるわけですから基本遠出はしません。15日は終戦の日でしたから、まだあの当時はテレビの全チャンネルが戦争関連の番組を放送していたような気がします。
そしてこの間に檀家の和尚さんが軽くお経を上げにくることがあります。そこでもまたお布施をするのですが、忙しかったりすると和尚さんはこれなかったりします。
夜になると近所の神社で盆踊りがあります。こぢんまりとした神社ですが、やぐらが建てられちょこっと出店が出て、毎年のようには参加しませんでしたが、夜になるといろいろな方面からぼんやりと盆踊りの音が聞こえてきたものでした。
さて、お盆までにその家で葬式などがあると、初めて迎えるお盆を新盆と言います。これも地方によって初盆といったり呼び方はばらばらみたいです。新盆の家では「おさみしゅうございます」と言いながら近所の方々が訪問してきます。軽くお通夜みたいな状態です。訪問する方はお線香代(だいたい3000円程度)を包むのですが、その返礼品を用意したり、お茶やお酒を飲みながら長居する方もいるのでその準備や相手をしたり、新盆の家はなにかと忙しくなります。
16日。いよいよ送り盆です。
迎え盆の時とはまったくの逆ルートで、家でお線香を上げた後、提灯に火を灯しお墓まで消さずに運んでいきます。そして墓石の上にちょんちょんと提灯を置くことで、ご先祖様をお送りします。全くの逆ルート。お線香とお花とお供物をお供えして終了です。家に帰ると、仏壇も通常モードにもどし片付けをします。ちなみに茄子と胡瓜で作った牛と馬は近所の川に流します。精霊流しと原型が同じかもしれません。
そして、夜になるとなぜかまた宴会といったパターンが多かったです。以後は親戚達はそれぞれの家へ帰っていき、地元ではお盆を過ぎると2~3日で夏休みが終了してしまうため、宿題をため込む方だった自分としては送り盆の後はかなり憂鬱でした。
これはだいたい小学生から中学生の頃の記憶を元にしています。年々と親戚の集まりも疎遠になり、規模も縮小して、代替わりもしてお盆の行事は本家の方々に任せきりになってしまいました。自分にも子どもができたことで、また賑やかな風景が戻ってくるといいなぁとぼんやりと望んでいます。