朝ドラ「カーネーション」

あまり語れる材料は持ち合わせていませんが、近年稀に見る名作だったと思います。
数話は見逃しましたが、朝8時の林檎さんの歌を聴くのが習慣となっていました。
さて、はまった要因としてはいろいろあったのですが、1つには同じような時代背景が続いてしまったという外因もあるかもしれません。前シリーズの「おひさま」とは対照的な作品でした。「おひさま」をフォローすると、震災直後だったということもあり、これはこれでとても勇気や明るさを与えるような作品だったと思います。その後に「カーネーション」が始まりました。
数回見た後、「おひさま」はいかにも男性的なモノであったのに対して、「カーネーション」はいかにも女性的で得体の知れないモノだと感じました。これは脚本家の名前を見れば一目瞭然でもあったのですが、構造分解すると「おひさま」の陽子はとても書きやすいキャラクターで、悪く言えば男性が思い描きやすい女性像であったと思います。一方で、「カーネーション」の糸子や奈津はそんな妄想を打ち砕くような強烈な女性キャラでした。そして、世間では絆だの家族愛だの言われる中、「んなわけあるかい」と言わんばかりの愛憎まみれる展開に「あぁ家族って、人間関係って案外そういうもんだよね」と合点がいくものでした。
愛憎というほど昼ドラほど泥沼急展開ではなかったものの、シビアに淡々と丁寧に人間関係を描く姿勢は、もしかしたら制作者側の嫌みもあるのかもしれませんが、非常に好感がもてるものでした。特に周防と北村の関係については上手く処理したなぁと思いました。沢山の人がすでに考察していますが、性愛の部分と友愛の部分に分離し、前者は周防が引き受けあっさりエピソードを終了させ、後者は北村が引き受け後半のストーリーをぐっと支えたような印象です。そう考えると、従来不倫やらは理解しがたいものだったのですが、性愛部分を除けば、いわば同志のような関係が根底にあるのであれば、まぁまぁ分かるかもしれないと思いました。
さて、快調にストーリーが展開していくにつれて最後の着地点が日に日に心配になっていきました。というのも、やはり引き合いに出してしまいますが「おひさま」の終わり方がだいぶ失速した感が否めなかったこと(朝ドラにはありがちではあるのですが)。そして、老年期を夏木マリが演じると知ってますます心配に。尾野真千子があまりにはまり役だっただけに、ギャップがですぎないかが心配でした。ただし、それの懸念も朝のシーンの「おはようございます」の一言で払拭されてしまいました。上手かったなと。思えばカーネーションは朝のシーンをとても大事にしている作品だったと思います。
さてさて、老年期で一点気になったのは孫娘とのエピソード。すでにエピローグの雰囲気を醸し出している中で、ちょっと中だるみのように感じてしまいましたが、まぁ自分には興味の無い年代だったせいもあるかもしれません。ちょうど親と自分の中間の年代(40~50代)の人たちの青春時代ではなかったのかなとは思います。
そして、最終回の展開の仕方は秀逸でした。まさか糸子が死んだ後も「おはようございます。死にました」なんて挨拶されてびっくり仰天ですし、カーネーションの初回放送へある意味ループするなんて、そして、おそらく奈津らしき老人がその放送を見ているだなんて、ずっと見続けていた視聴者にとっては感涙ものだったと思います。
最後にもう一度フォローすると「おひさま」はそれはそれでとても面白かったのです。女学生時代の3人のキャピキャピ姿を見ているだけで幸せでしたし。やはりタイミングが救いだったということもあると思います。もし順番が逆だったらどちらも微妙な気持ちで見ることになったのではないかと思います。
ところで、次の「梅ちゃん先生」はとりあえず見ていますが、見続ける自信がありません。堀北はかわいいなぁとは思うものの、あの格好は完全に三丁目の夕日のむっちゃんに被ってしまっていて、「なんで東北弁じゃないの?」って一瞬思ってしまったり。もうちょっと頑張って見てみます。