風の博物誌

何か見えないものに、木を揺すって不思議な音を立てるものに気付くこと―それが風の体験である。風は大海を猛り狂わせ、壮大な雲をむくむくと立ち上がらせ、砂漠を腕にかかえて運び去る。だが人間には直接、親しげに交信してくる。人間は風の作用を体の奥深くで受け止める。葉っぱが揺れるのを初めて目にするずっと前から、風を予感することができる。これらの感覚は識閾下のもので無意識のうちに作用しているが、ときにはこの感覚に偏執的にとらわれることもある。よこしまな風の場合は、個人を懲らしめてやろうとでもいうように特定の人びとをもろに襲う。だがおしなべて言えば、風に吹かれる、風を感じるということは、あたかも世界の動向に対して自分にも発言権があるような、何かに参加しているような気持ちになることではなかろうか。

ライアル・ワトソン, 木幡和枝訳. “風の博物誌”. 河出書房新社, p387, 1990.
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