リアルって?

「Real」には色々なニュアンス(意味)があります。
1つには「現実の」ということや、「本当の」ということなどあります。
そして、「真に近い」という意味もあります。
いわゆる日本語でいう所の「リアルな~」という使い方をする「リアル」です。
気になっていることはこの「リアル」です。


世間では「恋空」という映画が流行しているそうですが、女子高生とかに言わせると、とても「リアル」なんだそうです。「Always 続・三丁目の夕日」も流行っていますが、これも団塊の世代の大人たちに言わせると、とても「リアル」なんだそうです。
「Always 続・三丁目の夕日」はこの前見たのですが、その時代を経験していなくても、なんとなく「リアルだ」と感じてしまいます。
1つの疑問としてはそれは本当にリアルなのだろうかということ。
もう1つの疑問はなぜリアルと感じてしまうのだろうかとうことです。
後者の疑問を解けば自然と前者の疑問も解けそうな気がします。
なぜリアルと感じてしまうのか。
1つには経験値の有無にあります。
女子高生や団塊の世代の方々は経験があるので、創作表現が個々の経験の想起を促していると考えられます。
けれども経験値がなくとも、私たちのような他者がリアルと感じる時があります。
それはおそらく、いわゆるステレオタイプの情報を蓄積しているからだと考えられます。
誰かに聞いたことがある。本で読んであたかも自分が経験したかのように感じる。などなど。。。
まぁ、それがリアルと感じる要因だとしましょう。
それが本当に「リアル」なのかは甚だ疑問です。
創作表現が現実に近いことがこのリアルに感じる表現に直結するとは言いにくいのではないかと思います。
特にエンターテイメントはその名の通り、私たちを楽しませてくれます。そのための表現であり、「現実に近いかどうか」は二の次になっています。たとえば脚本の整合性がとれていなかったり、いわゆる演技・演出がなければ楽しんで見ることなどできません。
しかしながら現実のドラマはもっと奇妙で整然としていて、細かいことを言えば、現実は言い間違えやら噛むことだってあるし、意外と静かなシーンが多いのです。(BGMなんて普通は流れていないですし)
つまり表現がよりリアルであれば観客にリアル感を与えるわけではないということです。
では、私たちが感じている「リアル」は何かというと、それは「雰囲気」なのではないかなと思うのです。
すべての表現が作り出す「雰囲気」が観客を渦のように巻き込んで、リアル感を湧き上がらせるのではないかと思います。
先の表現でいえば、ただ単に過去の経験を思い出すのではなく、感動しそれと連動して過去の経験が想起されるのですから、観客からしてみれば、確かにそれは「リアル」なのかもしれません。ステレオタイプのパターンも同様です。
ここまで言って何が言いたいかというと、創作表現は「雰囲気」でゴリ押しする事が重要なんじゃないかということです。確かにルールや整然とした理論やこだわりは時として必要な時もありますが、それは制作側の勝手な都合であって、ユーザとの接点ではなによりもそこで起こる「雰囲気」が重要なのだと思います。その「雰囲気」を意図的に操作できれば良いのですが。
特に映画は「雰囲気」でゴリ押しされたと思うことが多々あります。
まぁ、それが心地良いのですけども。
(映画においてはよりリアルに近い表現をしようとする試みの作品がいくつかありますが、それはそれで面白いと思います。邦画でいえば「Tokyo.sora」とか)