本物の色と感性の色

最近、また色に興味が出てきました。
色彩検定を受けようかと思った時期もありましたが、実際に持っている人から
「あれは教科書読めばとれるから、あまり意味ないよ」と言われ、止めた覚えがあります。
別に色のエキスパートになりたいわけではないのですが
少し前にちょっとした発見がありました。


ソニービルに遊びに行ったとき、いわゆるデジタルハイビジョンだとかの映像を見たのですが
綺麗には綺麗だったけれども、たいして大きな感動というものがありませんでした。
画面に映し出された映像は、むしろ鮮やかな色ではないのです。
その展示は色の再現力をアピールするものでしたが、確かにそれは納得いきます。
ベタっとつぶれてしまう色のところでも(深いところの色までも)再現しているのがよく分かりました。
つまり、それは確かにリアルだったのだと思います。
もしかしたら今まで見ていた映像(TV番組とか)はニセモノの色を見ていたのかもしれません。
TVの旅番組でみた観光名所に実際に見に行くと、違う色合いだということも少々納得できます。
では、なぜ本物の色の鮮やかさに感動しなかったのか。
それはおそらくですが、自分の感性の「鮮やかな色」とは違っていたのだと思います。
それを感性の色としたときに、自分の行動でも説明できることがでてきます。
というのも、私はプリンタやスキャナ、最近購入したデジカメまである企業の製品に統一しています。
その理由として色の再現力にあります。その再現力は私の感性に近い色を表現してくれます。
もし、この感性の色が個々に存在するとしたら、その違いを認識できる装置などがあったら面白いのかもしれません。しかし、今のところはみんなが本当に同じ色を同じ色として認識しているのかは不明です。
特色が見れない傷害は顕著で違いを認識しやすいのですが
例えば、誰かの色彩認識に、CMYKでいうblackが全体に1~2%含まれているとしたら数値的には違う色を認知していることになります。それでも全く違和感などないでせう。コントラストや色相がほんのちょっとずれて居たとしても、まったく支障がなく過ごせてしまいます。
例えば、このズレを時計の針を合わせるように、複数人の間で共有できたとしたら、少しゾクッとします。
実現するのはかなり難しいと思いますが(まったく思いつかない)、そうでなくても、自分の視覚認識のカラーセットを自由自在に変化させるだけでも面白いと思う。