何もないところから何かを創り出す時に
何かを食べるように、いろいろな刺激を取り込みます。
音楽でも映像でもなんでもいいんだけど、鍋をぐるぐるかき回すみたいに。
そして思考が溢れ出す(漏れ出る)のを待つのだけれど
時間がない時は、結局は要素還元と概念の組み合わせで
しらみつぶしにアイデアを見つけ出す方が早いのかもしれない。
ブレイクスルーってその行程をふっとばして
一気に理想のアイデアにたどり着くことだと思う。
とはいえ、ただ待っていても出てくるわけないので
いずれにしろいろいろ外部から刺激を蓄積しないといけない。
刺激としっても生理的な意味で、
目の裏がチリチリしたり、頭の裏がグラグラしたり
そういうものを求めているんだけども。
というわけで、今日はこれから
充電も兼ねて、刺激をもらいにいってきます。
「生みの苦しみと蓄積」への4件のフィードバック
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刺激って受けているうちに慣れてきちゃうんだよね.
最近,感受性がどんどん低くなっていくような気がする.
極端な話,何を見てもなにも感じない...(オイラはそこまで深刻じゃございません)
ところで,大人になると突然苦いものや辛いものを食べられるようになるのは刺激がない(感じない)ことの裏返しだと思わない?
苦味を感じているってことで自分が生きているってことを確かめているのかもね.
昔から苦いのは食べてたような気が(汗)
そういう話じゃないか。
逆に感受性は強くなると思うんだけどなぁ。
いろんなことを経験することで、強くなる。
お年寄りが涙もろくなるのはそのせいだと思うんだ。
苦みをたしなむのも然り。
子供の頃は逆に主観が強すぎて(客観性がないってだけかも)
偏った見方になってるだけだと思う。
その過程で、とんでもないプロセスがあって、時々、大人がどきっとさせられる事を言ったりするんじゃないかな。
子供は人と違うものを発見するのが早いからね。
大人は暗黙したり、建前を知ってるから。
んで、何も感じないっていうのは
気が散ってるか、何も受け取ろうとしてないだけだろうと
思うわけです。
>んで、何も感じないっていうのは
>気が散ってるか、何も受け取ろうとしてないだけだろうと
確かに耳の痛い話です。そういう一面もありますね。
もしかしたら自分が極端に飽きっぽいとか長続きしないとかそういうことなのかもしれません。
基本、大人はストレスフリーで動いてますから。
面倒なこと嫌いだし。普通の事かもよ。