練習の質と量

※ちょっと簡単に。
まとまらないかもしれないけど。
中学の時に、一応、部活でスポーツ(バレーボール)をやっていて、
その時に聞いたことのある事がある。
「どこの学校でもそれほどやっている練習内容はあまり変わらなくて
しかも時間もそれほど変わらない。(やっても限度がある)」
というものだ。


同じ練習でも意識の違いで随分とその後の結果が違うことがある。
というのが別の言い方だろう。
確かに、同じレシーブにしても
前の経験を生かしつつ、トライアンドエラーを繰り返していく。
だいたいは「あぁしよう、こうしよう」と思考の末、行動に移すのだが
反射的というか、無意識的というか、無意図的にというか
思いもよらないことが起きる。急激な進歩や解決方法が見つかる。
それを(思考の)ブレイクスルーと呼んだりする。
思いもよらないことは思考外のことで
自分の経験では、やはりかなりの練習を繰り返し習熟度を上げていかないと
そういったブレイクスルーが起きない。
もっと言えば、練習を続けていないとその感覚的なものが維持できない。
少し話を戻して
どうにもここ数年は効率的にブレイクスルーや良いアイデアを出そうとか
一定の質を保ちつつ、量産しようとか考えてきたけれども、
ここ1年くらいはその辺りに懐疑的になってきている。
それでも研究計画書ではその疑惑を払拭しようと
論理的思考を繰り返して、感覚の形に積分していこうとしていた。
小林秀雄の
「効率的に考えることは、合理的な考えることではない。」
という言葉が身にしみるわけで、それだけではどうにもだめみたいだ。
簡単なのは手を動かすことなのだろうけども。
それから、プロトタイピングの速度をあげようという話になるのだろうが
それも少し短絡的のような気もする。
もっと物質的な感覚を習得しないと。
(1mの間に10本の線を書くとか)
んー。
そんな事を考えているとアナログ回路とかを勉強したくなってきた。