実質と本質

最近、友人に「優しくなった?」と言われた。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
偽善かもしれない。
どちらにしても、表面上は変わらない。


特に宗教に関係することだけども
形式的な行動は本質を伴ってなければ意味がないのでは?
と思っていた。
けれども、
例えばお経を唱えるにしても
子供に礼儀を躾けるにしても
意味も分からなくても、表面上は確かに美しい。
実質はなにも変わらないのでは?
躾けにしても宗教にしても
形式的な事は後で改めて理解すれば良いという考えだ。
それで納得すれば続ければよいし
納得できなければ止めてしまっても良い。
実質と本質の定義が難しくなってくるけれども
本質よりも実際の振る舞いを重視した方が良い可能性もある。
本質が「真」でも、実質が「偽」なら
世間的には「偽」と捉えられかねない。