情報の信頼性

タイトルが本質をついているかどうか分かりませんが。
ラジオを聴いていて、気になったことを耳にしました。
「ある中学校で生徒の母親から学校側に給食費を払っているのだからうちの子に『いただきます』を言わせないでほしいとという要望が出たと聞き驚いた・・・」
というもの。
内容は「はぁ?」
というものでしたが、ますます気になったことがありました。


早速調べてみると、発信元はどうやら朝日新聞の『声』の投書だそうです。
内容もそのまま。
「ある中学校で~聞き驚いた・・・」
そのまま。
つまり又聞き。
私が聞いたときは又聞きの又聞きの・・・いくつ重なったか分かりませんが。
いろんな人が「けしからん」だとか「このままでは日本はダメだ」とか
反発の意見ばっかりで、賛同意見がさっぱり見当たりませんでした。
新聞の投稿者も又聞きなのだから、さっぱり向こう側が見えません。
実際にそう言った親がいたのかもしれないけれど
いなかったという確証もないです。
「宗教上、言えません」という話が
心無い主婦か教師の下で飛躍したのかもしれない。
内容が突拍子もないと思うことなだけに
「本当にいたの?」
とも懐疑的になってしまいます。
いくらでも推測できるので本質的ではないと言われるかもしれませんが
では、この投書や、この話を聞く前までに
では「いただきます」の由来や意味を考え
少しは深く考えたことはあるのだろうか?
私はありませんでした。
一度は「何いってんの?」って反発しましたが
人のこといえるほど礼儀正しくありません。
挨拶も少なくなってきてます。
気づいたときには言うようにしてますが、本質的な心情が変わらなければ
「いただきます」は言わなくてもいいのかもしれません。
(給食費を払ってるから言わなくていいという理論にはどうしても納得できませんが)
極端な話
感謝もせずに、ただ形式的に言ってるのであれば
言わないほうが自然体かもしれない。
食べられる側からすれば
ただでさえ、強欲で罪深い人間なんですもの(いいわけ)