共有したい

東京タワー
※東京タワー (ちょっとブレてる・・・)
綺麗なモノを見たり、美味しいものを食べたりすると
誰か(とりわけ、大切な人や両親や家族)に教えたくなる。


小学校低学年の頃、ずいぶんと真っ赤な紅葉を拾って持って帰った事があった。
「ねぇ、ねぇ、お母さん、みてみて」
母親はそれを電気のスイッチの紐につる下げて
「これで家にも秋が来たね」
と言ったんだそうだ。
それがとても嬉しかったのか、作文か日記に書いたらしく
学級日誌に載ったので、おそらくこのエピソードは本当だろう。
(うーん、僕は記憶が定かじゃない)
双子の姪がいて、遊び相手をしていると
時折、自慢げに、
「ねぇ、ねぇ、これ見て」
と言う。
彼女たちにとっては新しく発見した美しいものを誰かと共有したいらしい。
なおかつ、それは他人にとっても新しいものであってほしい。
同じ感覚を共有したい。
大人になってもそれはある。
自慢や優越感は多少あるものの、根本には「共有したい」という欲求がある。
同じように感動して、同じように「おいしい」と言って欲しい。
なぜだかそれだけで嬉しくなる。
「あ、これ美味しい、両親に食べさせてあげよう」
「すごい風景。友達に教えてあげよう」
上京してからそういう事は多々あって、両親に食べさせてあげたい食べ物屋や
観光スポットとか、姪や甥たちに見せたい演劇や舞台とか。
それが最近、
「親父に食べさせてあげたかったなぁ」
「親父に見せてあげたかったなぁ」
と思うことがしばしばある。
その度に気力が抜けてしまう。
きっと父親にも僕らに見せたいものや食べさせたいものがあったと思うし
共有したいものがあったと思う。
例えば、父親にとって大学時代の拠点が池袋だった。
僕は(都内では)新宿とか渋谷とか表参道が拠点だったから、池袋とはあまり縁がなかった。
一度だけ、池袋で親父と飲んだことがあったけど、昔の風景と現在の街並みを重ねていたようだった。
きっと池袋のそこかしこに、親父の記憶があるのだろうけど、もうそれを紐解くことができない。