恩師

私には先生を尊敬するという観念があまりない。
今でこそ尊敬すべき先生方に出会い・恵まれているけれども
根本的に尊敬の仕方が分かっていないのかもしれない。
小中学生の時、先生に対して反抗的で、そういう観念が育たなかった。
自分の未熟な時代(今でも未熟だが)にかかわる重要な恩師がいないのかもしれない。


なにしろ小中学生の時は反体制だった。
体制=学校・教師
別にやんちゃしてたわけじゃなくて
小学生の時は、生徒会に入って先生に対抗してたり、
従来のイベントをまるまる変えてしまったり
そういう事がただただ好きだった。
中2の時、教師の禁煙を訴えて生徒会の役員に立候補したが、あっさり落ちてしまった。
その頃からである。世間とはなぁなぁの馴れ合いで成り立っているんだと思い始めた。
(普段は教師に反抗してるくせに、真正面から対立しようとすると萎縮してしまう奴等もいるのだと。
でも、日本人はとかくそういうもので、和を乱しかねない異端者は排除されるべきなんだろう)
中3になるとなぜだか文化祭の役員になっていて、好きなことをやらせてもらったけれど
そうなると対抗勢力がなくなってしまい、いよいよ自分のやってることに不満を持ってしまう。
「これは完璧じゃなかった」とか。文化祭の2~3日後には自分が計画した文化祭に幻滅している。
その辺のネガティブさは今も変わってない。
中学の時は劇的に様々なものが変わったのだが
その時に先生と相談できる間柄だったら、少しは違う性格になっていたかもしれない。
でも、その頃は担任に甘えられる状況でもなかった。
僕らのクラスは中学3年間で担任が3人も交代したのである。
学年全体が問題だらけで、ただの「やんちゃ」から少し「陰湿さ」が増した世代でもあった。
登校拒否も多かった。世間の噂や情報に疎い性格なのでクラスにどれほどの問題があったか
少ししか把握できていないが、問題があるということは明らかだった。
一番残念だったのは、2年生の時の担任は半年で病欠してしまった。
面白い先生で、魅力的な人だったがプライベートな話をしたことがほとんど記憶がない。
研究者気質で、今の自分の中では「危うい人」に分類されるのだけれど
いろんな話をしたかったと、思い出してはそう想う。
そんな経験をしてしまうと先生に頼るとか甘えるとか、その仕方が少々苦手である。
「先生が守ってくれる」や「先生に頼る」など到底思いつくはずもない。
高校になって、担任や仲のいい先生から将来のことなどを指南していただけたが
まだ距離を感じる。いわゆる恩師との接し方ではなかったと思う。
その頃もまだ「教師は道具みたいなもんだ」としか思っていなかった。
まったくよろしくない。
先生とは不思議な存在である。
彼らはたいていが親と自分の間の世代だ。(親と同じくらいの人もいるが)
子供にとっては日常生活で親以外に一番接する大人である。
子供に与える影響は意外なほど大きいのではないだろうか。
「環境」という一言になってしまうが、彼らの振る舞いや態度から多分に学んだ事が多い。
先の教師の禁煙を訴えたとき、砂を噛んだような表情をした教師たちの顔をよく覚えている。
幸い意地悪されることはなかったと思う。(さても気づかない人なので。)
「先生もつらいんだよ。タバコくらい吸わせてくれよ」
当時は理解しがたいものだ。子供たちには健康に害があると訴えておいて、その行動は矛盾しているんじゃないか、と。
でも、その弱さはとても人間味があって魅力的だし、今なら彼らのことも理解できる。
将来、私たちの子供たちが正義やプライドをかけて私たちを否定してきたら
私も同じように渋い顔をしてしまうのだろうか。