『考えない』という思考

 最近、悩むことが多くていろいろと狼狽しているのだけれども
(おかげで精神不安定?これがノイローゼというものか?)、ふと思い立ってみると
何も考えてないことが多い。問題を目の前にしてただただうろたえているだけだ。
同じようなことは昔からよくあって、白い画用紙や原稿用紙を目の前にして
何も描けなかったり書けなかったりしたものだ。逆にイメージだけが先行してしまうことも
しばしばある。ということで、「工程をデザインする」から「思考をデザインする」に
なんとなく興味が変化してきた。(「工程をデザインする」についてはボチボチと編集して
いきたいと。)
 単なる現実逃避の『考えない』ということではなくて、『考えていない』という状態が
どういう事なのかがポイントになる。本当に何の『思考』も働かないことはあるのか?とか、
頭の隅においていながらも『考えている』とはどういうことなのか?とか。
理性と本能: 『欲求』というキーワードにも関係してくるのだが、どうにも自分のやりたいことが
イマイチわからない。いままで勉強していなかったせいでひたすらに知的欲求は高まる
ばかりで(じゃー勉強しろよって感じですけど)、そういう欲求は理性か本能か?
そもそもそういう区別をすること自体ナンセンスかもしれない。理性からの欲求
と本能からの欲求とではどこまでの差があるのか?どういう思考が働いて欲求に
つながるのか?主観と客観とではデザインの結果はどう変わってくるのか?
必然と偶然: 何かを作っていたりすると偶然性の発見がある。ただあまり偶然だとは思いたくない。
『創造は発見である』(4/15)で述べた事に
関連してくる。もしかしたら『考えない』という思考が『偶然性』に関係しているのかもしれない。