2019年の夏休み

法事などで若干予定外のこともありましたがイベントてんこ盛り。若干、やること・こなすこと自体が目的になってしまった感があったので、もうちょっとその先の、単純にいうと思い出づくりだとか、純粋に楽しむだとかをしたいなと。あとは週末にイベントが集中しすぎ、長男が帰省してから溶連菌にかかったりと、健康面にも気をつけないとなと。今年の反省です。

あとは、そろそろ義理の両親の年齢も考えると3世代で旅行とかもそろそろ遂行したいなと。夏休みではなくてもいいんですけど。

ひとまずイベントごととしては以下の通り。

  • 会社見学会(抽選があたった!ラッキーだった)
  • 自由研究ワークショップ
  • ↑ワークショップのバージョンアップするために秋葉原に買い出しとフィールドワーク
  • セミの羽化の観察
  • 恐竜博
  • 子ども料理教室
  • TDL2回、TDS1回
  • 帰省2回(法事のため)
  • 聖地巡礼(たまたま、天気の子に出てきた廃墟ビルのモデルになった代々木会館)
  • 兄家族とやや遠出。釣り堀で魚釣りしたり。帰路につく時に兄の車でトラブル発生(大事には至らなかったけど、いろいろあるもんだなと)
  • 長男がパイレーツ・オブ・カリビアンにハマる

ちなみに、劇団四季のライオンキング観劇は予定していたのですが、急用ができて断念。どこかでリベンジしたいです。

聖地巡礼 代々木会館
軽井沢南蛮の油炒め。おいしい

10連休と改元

なかなか経験のないことだったので感想をメモ。

10連休は長すぎた

これは社会人あるある的な問題ですが、休みがあると基本お金がかかります。お出かけしたりレジャーしたり、そのために移動したり、移動した先でご飯食べたり。それが10日も続くわけではないですが。リフレッシュ休暇だと思えばいいのかな。

とりあえず前半は妻の実家に帰省してました。温泉行ったり、しいたけの菌を原木に埋め込んだり、自分の実家へ行ったり。

戻ってきてからは割と近場で遊んでました。

きっといつものGW以上に各地が混み合いそうだったので、凝った計画はたてず。あと家族が体調不良だったり、会社の方ではプチパンデミックだったり。自分もなんとなく体調不良がずっと続いていて、かといって発熱はなく。すっきりしない日が続きました。

自分だけの10連休とかだったらまた違ったのかなぁ。

改元

人生としては2度目の経験。平成に変わった時のうっすらとした記憶では、ものすごく自粛ムードが続いていて、今思えば東日本大震災の時と同じくらい雰囲気が沈滞してたと思います。

それに比べて、なにやら年末年始の雰囲気。そこまで自分の中では盛り上がってなかったのですが、周囲の雰囲気がだんだんと賑やかになってきて、家で過ごすことが多かった自分としてはテレビとか見つつそれなりに楽しめたかなと。

そして37になった

だいぶ折り返した印象。と思ったけど70歳に定年が引き上げとかあるご時世なので人生まだまだこれからなのかも。そうは言うものの、なかなか新しいことを覚えたり挑戦するのは厳しくなりつつあるので、プログラマー35歳限界説とかあながち間違ってないのかもしれないです。

桜。軽井沢は5月が見頃。

体調不良


軽井沢のブルーベリー(ちょっとピントズレ)
ここ最近の体調不良をメモ。
・どうにも肩の凝りが取れないので試しに整体へ行ってみる。
・なにかと喋らされる。たぶんそこでのどをヤッてしまった。
・肩凝りはとれた。喉の調子が悪い。1日おいて発熱。
・とりあえず病院へ。薬がたくさん。
・喉以外の調子は戻る。仕事も休みも用事盛りだくさん
・1週間後にまた体調崩す。咳が出てくる。
・また病院へ。休み前ということもあり点滴をして大量の薬をもらう。
今のところ、食欲もあるし、熱もないし。普通に仕事もできる(長時間は無理だけど)
そうであっても休んだ方がいいんだろうなぁ、ということで滑り込むように夏休みに入りたいと思います。

母が倒れた

たいして伝播力もないブログなので、日記として今の気持ちを吐露しておこうと思う。
4カ月くらい前のことだ。
自分の入院の予定日の前の日に危篤状態になった。入院をキャンセルして帰省した。
なんとか一命はとりとめたものの、自発呼吸がほとんど失われ、意識はあるがうとうと眠ってしまう傾眠状態が続いた。
もともと目眩がひどくなり5月の連休明けには病院に通い、脳梗塞と分かってから入院していた。
まだ、歩行と嚥下に障害が残っていたが、「リハビリをこれから頑張ってやっていこう」という比較的ポジティブな状態で
ちょうど自分の手術のこともあり、落ち着いてからお見舞いに行こうと思っていた矢先だった。
2カ月ほどリハビリをして、自発呼吸を浅くもできるようになったが、多少の意識はあるものの、意思疎通はなかなか難しい状態になってしまった。
Yes / No は分かっても、何を言おうとしているか分からない。探りのいれようもない。もう少し手先が動くようになればとリハビリを続けているがなかなか芳しい状態ではない。
医者からは「あとは本人のやる気次第」とも言われ、裏を返すと、効果のないリハビリは医療機関としてはなかなか継続するのが難しいということだ。多少なりとも、国民の税金で賄われているのだから致し方無いようにも思った。
一番上の兄や義姉には頼りきってしまい、だいぶ負担をかけてしまっている。跡継ぎだからとはいえ、上京した自分はお見舞いしかできず、手伝いといっても、生活感がまるでなくなった実家の掃除くらい。人が生活しなくなるとすぐホコリがたまる。そういえばそろそろ同居を考えていた時期でもあった。隣近所の説明もままならずバツが悪そうではあったけど仕方ない。春には居を移すそうだ。これで自分の実家は兄の家族のものになる。そのうち喪失感が出てくるのだろう。
兄家族の負担をなんとか軽減できないかとも考えたこともある。まだ新幹線通勤が認められている会社ではあるので、いっそ軽井沢に移住するのもありかもしれないとも思った。たぶん、それはそれで兄は受け入れないだろうし、むしろ咎めるだろうなとも思った。危篤状態で呼び出しがかかっり、一通りのことを話合ったあと、「とりあえず、それぞれの持ち場で頑張ろう」と言って解散した。その「とりあえず」がどれくらい続くか分からない。それでも、まずは通常のいつもの生活を守ろうとなった。それぞれ家族を抱えているし、自分の身体だって若い時のような健康体ではない。とはいえ、その「とりあえず」の状態を一旦どこかで見直す必要がある。例えば費用面についてもだ。こんなことでしか協力できないという歯がゆさもあるが、いろいろな面で兄家族をバックアップできればと思っている。
今思えば後悔ばかりである。結局、直近で会話らしい会話をしたのは入院の前の日の電話だった。
「ちゃんと入院してよく診てもらって」まだその時は病状はそれほどでもなかった。
自分の手術のこともあってお見舞いには行かなかった。
母には父にはできなかった親孝行をしてみたいと思っていた事がいくつかあった。
スカイツリーをいつか登りたいとも思っていたし、親子3世代で海外旅行もしてみたかったし、東京の美味しい料理も紹介したかった。
10年前に父を失った時と同じような喪失感である。
まだ、できることもあるかもしれないけど、正直無理だろう。
せめて、新しく生まれてくる孫を抱きかかえてくれればとも思うが、今の状態ではそれもかなり難しい。
30代前半がこんな状況になっているとは思いもよらなかった。
否、大変な状況の人はきっとたくさんいる。珍しいことではない。
ただ、自分の子どもの「祖父母」の概念から、自分の両親の存在感が欠落しているようで、少し寂しい気持ちになる。
また、甘えん坊な息子と妻のじゃれあいを見ていると、昔の自分をダブらせてしまう時がある。
きっと同じような性格で、甘えん坊で、わがままで、駄々こねて困らせていたんだろう。
因果応報、きっと自分は良い最期じゃないような気がしているが、どうか息子たちと妻とは良い関係で時を重ねていって欲しいなとも思った。
いままでの普段の暮らしに戻るのはほぼ無理だとは分かってはいるけども、もう少し穏やかな状態にならないものか。
新しい命も生まれてくる。今は絶望の少し手前くらいでとどまっている。

五輪開催が決まった

2020年の五輪開催が決まりました。当然5時まで起きていられるはずもなく、朝のニュースで知ったわけですが、いち都民としては複雑な心境で、半分以上は賛成。残りは色々課題はあるよなぁと思っていました。

賛成の理由
オリンピックは好きですし、スポーツ観戦は軒並み好きです。近場の開催であれば観戦に行くハードルも低くなるのと、息子にも経験させてあげたいです。もしスポーツをしていれば尚更。2020年は息子は8歳になるので、今の住所であれば、もしかしたら小学校とかでマイナー競技の観客として動員されるかもしれません。個人の趣味としてはサッカーを見に行きたいですし、マラソンであれば沿道に出ればすぐに観戦できます。地元開催スバラシイ。

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