オリンピック 総評

オリンピック大好き人間だったりします、私。
もちろん長野オリンピックも見に行きました。受験生だってのに。
メダルラッシュですごかったんですけども、やっぱり時差の関係で、体力がもたず、後半は尻つぼみって感じでした。勢いが。最後の最後で事件があって、よけいにちょっと残念。
種目別にちょっとした感想をば。

続きを読む オリンピック 総評

ぶっ倒れた。

さて明日は藤沢へ行くかと思ったら、その夜から風邪をひき長野に閉じこもってました。
春休みがなかったし、かといって就職活動をばりばりやってたわけではありませんが
肉体的にも精神的にも結構やつれてたんでしょう。と自認しております。
授業には出たいので無理矢理上京。調子悪いけど、ちょっと夜更かし。
こういう部分がSだったりMだったりして
ある友人から言わせるとSとかMとかいうよりも別の次元へ向かってベクトルがあるらしい。なんだそれは?
ポートフォリオらしきものを作ってみようと思ったんだが
意外に作品が少ない。スタディは作品ではないので外すとして
リストアップしたらこんな感じになった。
■依頼を受けて制作した作品
・自主制作映画団体「#C.C.C.」HP:Flashデザイン
・ピアノ音楽サークル「K’iss」CM:ディレクター
・インテンシブ公演「最終試験」:フライヤーデザイン・デザインスタッフ
■自主的に制作した作品
・自主制作映画「サカナ」:出演・ディレクター
・映像作品「mix」:Flashデザイン・ディレクター
なにやってたんだろうね。この4年間。

続きを読む ぶっ倒れた。

アイデンティティの話

※倫理をちゃんと勉強しておくんだった。と今更ながら後悔。
 学術的に誰が研究してとか、そんな事は調べれば分かることで、かといって自分をサンプルにして考察して普遍性を拡張することはナンセンス。けれども、結果自分の振る舞いに大きく影響するのだから、何時かは自分のルーツについて考えなければならないのかもしれない。と、考えてみると、時々そういうことは思いを巡らすことが多く、果てしない思考なので止めてしまう。そんなに暇じゃない。でも、今みたいにテストか終わったり、何もすることが無くなると、昔の思考をぶり返す。
 アイデンティティってなんぞやって事になるといろいろ論争が起こりそうだけれども、簡単に言えばIDと呼ばれるもの。そんな感じと思っていた方がいいと思う。例えば私は一応まだ長野県民であるし、ある大学の学生であるし、ある研究会に所属してもいる。住んでいるのは神奈川県で、少し大きくなると日本の国籍しか持っていない。(周りにはまだ2カ国の国籍を所有している人もいるわけで)。そうやって細かく微分していくと、自分というものは限りなく外部の情報から形成されてしまっているのではないかと思ってしまう。アメリカの映画ですっかりコンピュータ社会に依存してしまった女性が個人情報を書き換えられてまったくの別人に仕立て上げられてしまうというのがあった。(つまり、社会との接点がヴァーチャルネットワークしかなかった)リアルネットワークも大切にしようという警鐘だった。自分と関連のある情報をすべて削除してしまったら、自分は確かに生きているのに社会から認知されない。死んだも同然だ。(「lain」というアニメがそれをモチーフにしている)
 外部とのリンク以外にアイデンティティが依存できるとしたら、あとは自分の記憶しかない。事実、昔日の体験や思考の記憶に依存して振る舞うことが多い。例えば私はあることがキッカケでピアノを弾き始めましたとか。実際に起こったことなんだけれども、私は最近、記憶のバグを発見してあるアイデンティティの後ろ盾を見失ったことがあった。いわゆる勘違いである。そこで思いついたのが『アイデンティティは過去の事実に依存するのではなく、むしろ今現在の過去の記憶に依存する』という事だ。確率過程で言うマルコフ性に近いものがある。未来は現在の状態のみに依存するってこと。これについては自分で思いついた割に納得がいった。

ソルトレイクシィティオリンピック

 長野五輪を間近に体験した私にとっては、イマイチ盛り上がりに欠けた五輪だったと思う。
時差16時間と言うこともあったし、あんまり長野時とメンバーが替わってなかったし。
私的には上村愛子がメダルとれなくて初っぱなからしずんでたので、そのままのテンションで五輪が終わってしまった。
上村愛子は一応トリノを目指すらしいけど、いつ辞めてもおかしくない状態なので、できれば今回メダルを取って欲しかった。
美人つながりで、ミシェル・クワンとサラ・ヒューズどっちが可愛いかと友人と議論。もち私はクワン。
長野の時からのファンで今回は金とってほしかった。
 んでもって、今回、ちょっと気になったのがアメリカの存在。
審判の問題は長野の時もあったし、ホームを優遇するのは暗黙の了解で長野の時も随分良くしてもらいました。
という事で、日本はあまり大げさに言える立場じゃない。と、まとめたいところだが、今回はちょっと状況が違う。
開会式の時から気づいた人もいると思うけど、どうもあのアメリカ同時多発テロのことがチラチラ見えてくる。
ブッシュ大統領の演説といい破れたアメリカ国旗といい、ちょっとはっきり言ってうざい。
広島・長崎の原爆の被害を主張する日本にもときどきそう思うのだが、過去の栄光を自慢するように、
古傷を見せびらかさないでほしいものだ。正しいことを言っていても偽善者に見えてしまう。
 あのテロ以降、アメリカは平然を装うどころか「強さ」を主張してきている。「テロ撲滅」「世界平和」を訴えてきた。
そう言いながら、そこら中で戦争を始めている。まるで「アメリカこそが正義で道徳」であるかのような。
今回の五輪で起きた様々な問題はココにあると思う。旧冷戦の対立はあくまで複線で、日本も含め、まるでだだっ子のように
メダルを欲しがり、騒いで、相手のアラを探す。特にアメリカは「テロ」を仮病にして王様気分で横暴を繰り返す。
そんな五輪だった。
 ※でも、選手のみなさんやボランティア、サポーターはよく頑張ってくれたと思いますよ。
なんだかんだ言って感動してたんですけどね。