生みの苦しみとさみしい国の人(半分青いの考察)

なんだかんだで朝ドラの半分青いの鑑賞を完走できました。

賛否両論あったようですけど、個人的には気に入っていたし、飽きさせないドラマだったと思います。

印象的だったのは2つか3つ。

クリエーターとしての「生みの苦しみ」を充分に表現できていたこと。2つは震災の描き方が良くも悪くも象徴的だったこと。

 

生みの苦しみについて

いち表現者の端くれだった者としては身につまされる思いであったり、苦々しい思いが(胃液が逆流するような感じが)あったり、特に漫画家編は辛いものがありました。としても共感できるものもあったし、「0→ 1」へのモノづくりを体感したことがない人にはなかなか伝えづらいものがあるので、良い参考作品になった気がしています。(生みの苦しみを伝える一番の参考作品はハチミツとクローバーだと思ってます)

 

さみしい国の人

「さみしい国」の表現は、3月のライオンの主人公を表現するとあるセリフから来ています。(主人公の義理の姉のモノローグで、幼いころ両親をなくした主人公を「とてもさみしい国から来た子」と、不倫相手の妻の病状が芳しくない折、彼が「あの人が行かねばならない(国)」と表現した)

ドラマの終盤、震災による展開がありますが、肉親や親しい人を亡くした時の状況をうまく表現できていたのではないかなと思いました。律の父親である弥一が(妻の死後数年経っても)「悲しみと共に生きている」というセリフに主人公の鈴愛が同調するシーンが印象的で、そこにはなんとも言えない「仲間意識」があるのかなと思いました。つまり当事者でしかわからない「共通意識きっとありそう」だということです。この辺りは下手な同情はかえって逆効果になる所以です。よく親が言っていたような「大人になってみないと分からない」というセリフの裏付けのようにも感じます。一般的には大人になるにつれて親しい人の死に直面していくわけですから。

 

震災の表現について

「震災」の扱いが従来よりも「象徴的」だったと思いました。朝ドラで東日本大震災を扱うのは2作目だったと思いますが、「あまちゃん」の時の震災の表現はとても慎重で、主人公に関わる人の中で犠牲者は出ませんでした。ただ、今回は予兆があったように(ユーコが仙台に行くっていった時点で誰もが予感してたと思いますが)リアルさがあったかどうかは別にして、とても象徴的、言い方は悪いかもしれませんが、物語のなかの1つの舞台あるいは転換点として機能していたと思います。(漫画家編以後からある意味悪い予感の伏線が貼り続けられてたので、2011年にだんだんと近づいているという感覚もあったので、物語全体の3分の1くらいはずっと機能していたことになります。)

ついでに思うこととしては、いわゆる戦前・戦後といった転換点が、従来の方法では、あまり舞台として機能しづらくなっているのかなと思いました。その前だと維新前・維新後が1つの転換だったと思いますが、今となっては歴史的な正しさよりも、ドラマチックなものを表現する、いわば借景する対象になっているようにも感じます。もっと前は戦国時代までさかのぼりますが、その辺りだともうファンタジーばっかり。

戦前を体験している人は日本の全人口の半分もいないわけですから、「風化させてはならない」とは言うものの、従来の悲惨さや反省点のエッセンスがより象徴化されて「消費」されていたのからは反転して、より市井の人々の生活ぶりを丁寧に描写する作品が評価されているように思います。より歴史の1つの事象として定着しつつある心象です。もっと時間が経つとファンタジー化されてしまうかもしれませんが。。。

そして、戦争にとって代わるのが東日本大震災であって、東日本だけというわけでもないく、結構な割合の人たちの心に生々しい記憶がありますから、忘却と反比例するように、リアルを想起させるような「悲惨さ」などのエッセンスを象徴化した作品がだんだんと出てくるのではないかなと思いました。なので、半分青いはその1歩を踏み出した感があります。

ロシアW杯総評

自分が観てきた中でこれほど心動かされた大会はなかったと思う。そういった意味では感動したわけだけども、「感動をありがとう」とはならないし、ベルギー戦の敗戦は今だに悔しい。ベスト8に届きかけたあの数分間は至福の時間であったし、数分後には打ちのめされ、その反動はひどいものだった。上位国相手に真っ向勝負で渡り合えそうだった手応えのような感触だけが今後の希望の欠片のように感じた。

思えば大会前から散々なもので、解任騒動から始まり、壮行試合含めなかなか期待値があがらなかった。期待値があまり高く無い方が、活躍した際に喜びも倍増になるので、ネガティブな印象ながらも「南アフリカ大会みたいになれればラッキー」くらいには思っていた。結果似たような展開でもあったし、その時とは断然レベルが違っていた。

ブラジル大会では「俺たちのサッカー」がことごとく否定されたけれども、今回はそのバージョンアップのような形だったと思う。実質メンバーはそれほど変わらないし、キャラクターも近い。違うのはこの4年の積み重ねと、コンディションの良さだったようにも思う。結果、これが日本らしいサッカーなのかなと。クオリティを保つことができれば上位国を追い詰めることができる。苦手だった南米相手にもなんとなく通用しそうな雰囲気があった。(10人相手のコロンビアに互角の内容だったのやや微妙な印象は否めない。練習試合のパラグアイ戦は勝ったけど、相手のモチベーションは低かった)ベースはおそらくこのままで間違っていないんだろう。

しかしながら、不足している部分は改めて感じる。ベルギー戦の敗戦を省みると、足りなかったのはBプラン。現代サッカーは2つ3つの戦術を刷り込むのがデファクトになりつつある。それを探り合い試合の中で変化させていく。日本にはそこまでの深みがなかった。2点差でリードした際、守り切る戦術に切り替えることができなかった。ベンチメンバーを見てもその絵が思い浮かばなかった。それよりは現状のバランスを重視したのだと思うが、それが耐えきれなかった。森重や青山がいればもう少し違ったのかもしれない。

もしかしたら攻めきるプランもあったかもしれない。それも素人目からも絵が描けなかった。俊足の浅野や永井がいればカウンター戦術に切り替えることができた。ベルギー戦で厄介だったのが、ベルギーのDF陣がいまいち「ゆるく」、3点目を取れそうな雰囲気がたびたびあり、その誘惑に乗ってしまった感がある。最後のCK、なぜ変化させられなかったか、なぜDF陣が上がってしまったのか。

後日、ベルギーがフランスに敗戦した試合展開を見ると、やや似たものがあった。フランスは後半早々に先制すると、FWをどん引きさせてまでもその1点を守りきった。なぜその切り替えが、日本で、2点目取ったあとにできなかったのか。興行としては面白い試合だったけれども、結果が全てとグループステージ勝ち抜くために腹を括ったのだから、なぜそれがもう一度できなかったのか。タラレバは禁物であるが非常に悔やまれてならない。

4年度はおそらくメンバーがガラッと変わるだろう。その前に東京五輪もある。今名前が上がってくる人以外でも新しいスターが出てくることを期待したいし、Jリーグも含めてどんどん盛り上がって欲しい。

VARについては賛否両論あるが、個人的には賛成である。誠実な人が報われるのが一番良い。PKが増えたという否定的な面もあるが、PKが取り消しがったのが象徴的だろう。ただし、適用される部分が「ゴールや退場などに関わる重大な誤審を防ぐ」なので、どうしてもペナルティエリア内での適用が多い。適用されない部分とのコントラストの差が出てしまい、判定のレベル感に統一感がなくなってしまうのがやや違和感ではあった。

例えば、フランスとクロアチアの決勝戦。フランスの先制点のFKは、あれはグリーズマンのダイブだっただろう。その後、クロアチアが同点に追いついたあと、VARでクロアチアのハンドがとられPKとなった。主審は判断を下すのに随分時間をかけていたように思う。個人的にはやや厳しすぎる印象がある。おそらくVARがなければそのまま流していただろうし、あるいは、例えばもし、先のダイブの可能性が少し残っていると主審が感じていれば、「調整」して流していた可能性もある(主審がゲームを壊したとかよく言われることがある。先のブラジル杯でも西村さんがやり玉に挙げられていた。ルールとしては正しい判定をしたが、興行面から見るとゲームを運営するという点では賛同を得られなかった)

審判にはそういったゲームの流れを調整していく事も求められているように思える。そういった中でVARの導入については、うまく活用していって欲しいけれども、簡単にいうとペナルティエリア内外で判定の品質が異なるようだと、なかなかプレーヤーとしてはやりにくいかもしれない。それならば、ペナルティエリア外でもVARの権限をもう少し強くしてもいいのかもしれない。誠実にプレイしていた人が報われる世界であって欲しい。

本「オーダーメイド殺人クラブ」

入院中にさくっと読了しました。(入院の話はまた今度)
ちゃんと辻村さんの作品(長編)を読むのは初めてで、特に前提知識はなくさくさくと読み進めました。
最初はただならぬ雰囲気を感じながらハラハラしましたが、読み終えた時にはなんという多幸感。(とはいえ闇はあるけど)
巻末の大槻ケンヂの解説にあったように、もうこれは痛々しい黒歴史をフェードバックさせるストーリーでした。
(コンテンツは違えど主人公たちに感情移入する部分がかなりありました)
ところで舞台が自分の地元の近所ということで、周辺状況が結構しっくりくることもあり、その点でも感情移入の助けになっていたような気がします。
一方で共感しにくい部分としては、女子同士の友情のもつれやスクールカーストの移ろいの部分。
思えばスクールカーストとは、あるいにはあったとは思うけれども、自分は無縁だったような。。。(ただ単に外れ値だっただけかも)

親の気持ちと子の気持ち

最近は何事にも親目線で見てしまうことがあり、結婚式に出てもついつい親の視点で見つめてしまう。

30代に入ってから、親世代の不幸を聞いたり、逆に子どもの誕生報告を聞くようになった。
その度に死生観を見つめなおす時がある。
自分は子どもも生まれ、父は少し前に亡くなっているが、母は平均寿命に近づきつつある。
30代~40代の多くの人が、子を産み、親を看取っていく(あるいは介護していく)フェーズになる。
親の気持ちとすれば、子は元気に育ち、願わくば子より先に現世からお暇したいところだ。
子の気持ちからすれば、まだまだ親は元気で活発で、願わくば自分の結婚や孫を見てほしい気もある。
一応、その親も親の気持ちと子の気持ちが入り混じるフェーズは経てきているはずだ。
晩婚化の影響か、現状はやや従来のステレオタイプから外れはじめているようにも感じる。
例えば、今までは20歳そこそこで結婚し子を産むのが大半であったと思う。それが2~3世代続くと40代~50代で祖父・祖母となり、60代~70代では孫の結婚式に出たり、ひ孫まで出来たりする。
しかしながら、サンプル数は少ないが、結婚式に出ても、祖父・祖母が出席しているケースが少ない気がする。
30代で結婚・出産が2~3世代続くと、50~60代でようやく子が成人し、孫ができるのがその後だ。その孫が結婚となると、平均寿命が延びているとはいえ、結婚式に出席するのはかなり現実味がない。
今の自分としては、願わくば自分の子の結婚式には出たり、孫の顔も拝みたいが、その孫が成人し結婚するまで見届けるまでの自信がない。
(自分の子が結婚・出産の選択するかどうかは別として)
そんなわけで「とりあえず健康維持とボケないように注意しないとなー」と考えるようになり、昔は30歳以上の自分を想像しにくかったが、あぁこうやって壮年からその後の老後を見つめ準備し始めるのだなぁと実感しつつある。

テレビ「烈車戦隊トッキュウジャー」

久々にハマったといいますか、戦隊物としては初めてハマりました。
存在は一応知ってはいたのですが、息子が電車好きということもあり、ずぶずぶにハマってしまうと色々大変そうだなぁと思い、最初は避けていたわけです。しかしながら途中(6号が新たに仲間になる辺り)から見るようになり、あれよあれよと家族そろってハマっていきました。

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